これは『プレジデント』にその昔書いた書評。なかなかいま読んでも興味深いことをわれながら書いてる(笑)。
書評:『経営者の精神史』
山口昌男
経営者の「知のネットワーク」を探求した快著である。明治以降の日本近代を築いた経営者たちが、その経済的業績と同時に、いやそれ以上に知的な文化活動に傾倒しており、その遺産を再評価しようというのが本書の意図である。遺産と仰々しく書いたが、本書で登場している経営者たちの精神はまさに自由勝手であり、その文化活動は陶芸、茶道、野球、美術品や古銭蒐集、文化人のパトロンや教育機関の育成など多様である。経営者というよりもコレクターや趣味人がたまたま経営者であったその姿を活写しているともいえる。
例えば、平岡煕(ひろし)という実業家がいた。彼は日本初の野球チームである「新橋アスレチック倶楽部」を設立し、日本で初めてカーブを投げた人物として野球殿堂第一号になっている。実業面では、鉄道車両製造会社を創立して、文明開化の原動力の一翼を担い財をなした。本書に登場するほとんどの経営者は、明治初めの起業に成功し、一見すると成金趣味とも思える文化活動に熱中する(中には暗殺者!として歴史に名を残したものもいた)。平岡も例外ではなく、その財産で多くの芸人を養い、「カッポレ団」という舞踏集団を結成して熱海の町内を夜通し踊り狂い、平岡自身も「馬鹿囃し」と称する宴席の余興を極めたりもした。また江戸小物のコレクションでも大家をなし趣味人の奥義を究めた。こういった一見すると無為とも思える遊興が、著者によれば「昭和モダニズム」の遠因ともなったという。
趣味人や通としての平岡の生き方は、また経営者の精神としては、時間の効率的な利用につながっていたと著者は見ているようだ。ここで「効率」と書いたが、労働と余暇の絶妙なバランスを生きたということである。ただ単に利益重視の無機的な時間利用ではない。明治時代の通念では、茶屋遊びは放蕩であり、労働の論理とは相容れないものであった。平岡も芸者遊びで工場経営がおろそかになったと当時批判された。この批判に対する平岡の態度は明瞭である。
「拙者は朝六時に工場に出掛けて、何人よりも先に事務を処弁し、一切仕事に差し支えないやうにして、然る後に自分の為すべき事を為すので、茶屋に居やうが、其他何処に居やうが何人よりも苦情を言われる筈がない。若しそれで不満だと言ふなら……諸君は何卒手を引いて貰ひたい。出資金は総て之をお返しする」。
著者は、このような平岡の“ホモ・ルーデンス”(遊ぶ人間)の論理こそ、日本的経営者の理想だと断言している。そして、このような余裕と緊張のバランスをもった経営者の姿が、現代では失われてしまい、それが日本経済の活気のなさにつながると見ている。この著者の意見に私も大賛成である。今日、文化のパトロンとしての企業人のあり方は衰退してしまい(一時期バブルのように流行したこともあったが)、ただ無機質な効率性だけを追求しているのが今日の経営者の姿であろう。もちろん企業の援助になるさまざまな事業が今日も存在しているのは承知している。しかし、本書でとりあげられた経営者が放資した文化活動のほとんどが、今日の言葉でいえばアングラ的・おたく的なものであることは注目に値する。例えば、「平成大停滞の研究」に資金援助しても、「機動戦士ガンダムの経済学」(!)にはほとんどの経営者や財団・企業は資金援助しないであろう。しかし、明治の経営者は、文化活動というものが徹底的に無益な遊びにすぎないことを理解していた。いや、企業活動も文化活動も賭け事としてみれば広義の遊びの空間でつながっているともいえる。無益なる知のネットワークが、資本のネットワークと連動することで、一時代の精神や文化が形成されることを当時の経営者たちは直観で理解していたのだろう。本書は、明治以降の歴史が、実は余裕と遊びの精神を経営の風景から抹殺してきた過程でもあることを、われわれに教えてくれる。
- 作者: 山口昌男
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2004/03/05
- メディア: 単行本
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