現代日本の増税を考えるヒント:シュンペーターの『租税国家の危機』

 これは2003年に出た藤原書店の小冊子『機』に掲載した「税とは何か」についての文章。これを読むと税金というのは、もともと官僚たちを中心とする利権集団を養うために徴取されたことに起源があり、いまもその側面が払しょくされていないことがわかる。現在の消費税増税問題も、また官僚たち利権集団の「無駄」を支持する側面が大きいだろう。いま読むと[書いた当時もそうだが、さらに)笑えない内容だ。

税とは何か

 税を考えることは近代以降の国家のありかたを考えることに等しい。そして現在の税のあり方とその使途を考えることは、日本という国の現実とこれからの行く末を明瞭にすることにもなる。 
日本は現在、長期的な停滞に陥っている。深刻な不況と高止まりした失業率、経済規模を遥かに上回る巨額の政府債務、人口減少社会の到来や年金制度の崩壊など、この国の病理的現象を指摘すればきりもないであろう。
90年代のはじめから今日にかけて、政府は国民からの税金と国債という借金によって、「空前の規模」と称した大規模な財政出動をいくども試みて、この停滞を抜け出ようとした。また住専問題を皮切りに、度重なる金融機関の破綻や不良債権処理にもまた巨額の税金が投与されてきた。その結果はどうだろうか? いまだ日本は停滞を脱するどころか、毎年の税収不足に悩み、財政赤字問題は深刻の度合いを深め、ついにGDPを上回る約700兆円の累積債務を生みだし、それは日々増加を続けている。数年経たないうちに、その額は日本の経済規模の二倍に達し、やがては税金でも国債の発行でも借金返済の見通しがたたない、いわゆる「財政破綻」の到来を、まことしやかにマスコミやエコノミストたちは語っている。もし「財政破綻」がくるのならば、それに対処する手段を考えなければいけないのだが、政策を提起すべきエコノミストたちの意見の不一致は、いままさに頂点に達しているかのような混迷ぶりである。
他方では、日本の制度的な疲弊は目を覆うばかりで、官僚(霞が関)、政治家(永田町)、特殊法人公益法人虎ノ門)で形成される日本の「闇の帝国」とでもいうべき運命共同体(利権組織)が、猛烈な資金を税金や郵便貯金、簡易保険、年金などの形で民間から吸収して、その肥大化した利権構造を確固なものにしているのは周知のことであろう。不況にもかかわらず安泰なのは、実は国民の税金をもとに生きているこれらの利益集団の住人である。現代の日本で税はなんと無駄に消尽されていることだろうか。
 シュムペーターは資本主義経済が飛躍する源泉を、その企業家精神が生み出す革新(イノヴェーション)にもとめた。しかしこの革新は天から降ってくるのもでもないし、政治家や官僚の都合で生み出されるものでもない。民間の経済活動が円滑にすすむような環境を提供するのが、政府の役割であるはずだ。その責務を果すためにわれわれは日々税金を払っているのであり、利益集団の利便をはかるためや、「財政破綻」の危機に恐々とするために政治家や官僚を養っているのではないだろう。
 しかし、シュムペーターは名著『租税国家の危機』の中で、税金を徴収する近代国家が誕生した経緯を分析した上で、実は税金とは、封建君主や貴族たちの宮廷での贅沢な浪費や、度重なる戦争のための出費を賄うために創造されたものであると断言している。つまり税金はそもそも民間の経済を政府が補完するための資金を得るために考案されたのではないのである。アダムスミスは民間経済が基本的に市場の法則にゆだねられたときに最も社会の福祉が向上すると考えた。だが他方で、近代の資本主義経済の誕生は、スミスの「神の見えざる手」と同時に、
当初から利益集団の「鷲掴みする手」(経済学者シュライファー教授の言葉)によっても運命づけられているともいえる。つまり税金とは、国家の「鷲掴みする手」と民間経済の「見えざる手」の闘争の結果でもあるのだ。
 シュムペーターは、税金のあり方が市場経済の特徴を決めると書いた。日本の明治以降の近代税制もまさに日本の市場経済の特徴を決定しているといえる。明治はじめの日本政府は貧しかった。常に資金不足に難渋していたといえる。その一方で、膨大な官僚群と常備軍を維持し、さらに近代的な産業を育成するための社会資本(道路、港湾など)が必要ともされていた。江戸時代の年貢制度では、この膨大な支出をカバーすることは絶望的であった。そこで明治新政府は、年貢制度を改め、明治6(1873)年に地租改正を行い、一定税率の地租を全国共通で徴収する近代的な税制をひいた。納税者の支払った税金は、戸長から府県庁、府県の為替方そして大蔵省へおさめられ、税の徴収のネットワークは、また近代的な官僚たちの権力のネットワークを構築することにもなった。さらにこの民間資金の吸収は、全国的な郵便貯金ネットワークが補助することで、膨大な「鷲掴みする手」として形成されていった。この資金吸収の権力網は、確かに日本の近代化に大きく貢献した。しかし、すべての制度はやがて疲弊し、その老残の姿を曝し始める。日本の近代化・産業化という「見えざる手」の働きを、曲りなりにも助けてきた「鷲掴みする手」はいままさにその利益集団の具である本性を、顕わにしているといえないだろうか。
 また税制のあり方は、経済の姿を変えるだけではなく、人間の精神にも影響を及ぼすと、シュムペーターは鋭く指摘している。働く日本人の大半が、サラリーマンや公務員などの給与生活者である。そしてわれわれの給与から毎回、源泉徴収で税金がとられている。不思議と、この源泉徴収制度は、これまであまり問題視されることはなかった。われわれは、消費税の税率アップには猛反対をあげるが、ついぞこの強制的ともいえる源泉徴収の手段に異論を唱えることはなかった。サラリーマンたちはこの源泉徴収のために、税を支払っているという「担税意識」に欠けてしまっている。担税意識のないことで、われわれの社会参加の意識さえも歪曲してはいないだろうか?
 われわれが近代税制を確立してから100年以上が経過した現在、その税制と財政構造は深刻な危機を迎えている。今回の特集では、あるべき税制とその実現の可能性、さらに「財政破綻」を回避するためのエコノミスト・研究者たちの真摯な提案が結集されている。シュムペーターは税問題を解決するには、説得的で論理的な言葉が必要であると説いていた。まさに本書に集まった諸論文は、その試金石になることであろう。

租税国家の危機 (岩波文庫 白 147-4)

租税国家の危機 (岩波文庫 白 147-4)

「鷲掴みする手」の話は以下に。

The Grabbing Hand: Government Pathologies and Their Cures

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