荻原真『なぜ宮崎駿はオタクを批判するのか』

 本書は宮崎駿のさまざまな作品を<共生>をキーワードにして軽快に論じていくエッセイ的な本である。僕はこの著者の方とは面識もなく出版社とも縁遠いのだがいま読み終わってなるほど、と思った。昨年、『季刊 東北学』に寄稿した「宮崎駿リア充」とテーマが重なっている。

 本書では宮崎駿作品には<共生>というテーマがあるという。「人間と自然の共生」「多民族・多文化との共生」「障害者との共生」「男女の共生」などだ。これらの<共生>を『風の谷のナウシカ』や『ハウルの動く城』などの多様なアニメ作品を主軸にして読み説いていく。文章は読みやすい。多少、著者の認めるようにアニメなどの作品本体と離れて議論が自由に伸びるところもあるが。

 さて著者は宮崎駿のたとえば「人間と自然の共生」のメッセージというか価値判断をそのまま受容して、オタクたちに「だから、まず自然と親しみましょう」あるいは、「男女の共生」ゆえに「生身の女性を前に憶してはいけません。結果、二次元少女やフィギュアだけに目を向けてはいけません」とまさに意見している。

 非常に倫理的なメッセージが強い。僕の先ほどの論文は、宮崎が「現実を見よ」といえばいうほど、オタクたちはそのような態度とは異なり、「ゲンジツ」(こころの消費)に走るだろう、というパラドクスに近い状況を解説した。おそらく宮崎の<共生>には、オタクとの共生は選択肢として排除されている可能性が強い。しかしそれを宮崎自身は意識しているようには思えない。

 もちろん宮崎は現実を何がなんでも排除するオタクを想定し、その自分と異なる「物語」や他者のアイデンティティの可能性をはなから否定している人を問題視している、という可能性もある。僕の意見ではむしろ前者の可能性の方が濃厚なのだが。

 本書ではこの点の分析がない。むしろ宮崎のメッセージをそのまま無条件にうけいれてしまい、何か異様に説教臭い展開が残念でならない。

なぜ宮崎駿はオタクを批判するのか

なぜ宮崎駿はオタクを批判するのか