三省堂書店池袋の閉店と1980年代の本屋めぐりの回顧

三省堂池袋店の閉店をうけて、やはり西武ブックセンター時代が懐かしい。まだデパートの上階にあった頃。大学生の頃に思想の棚をよくみていた。原書で「ゲーデル、エッシャー、バッハ」」が日本語書籍と一緒においてあり(他にも原書が点在していた)、それを手にとっていたら、大柄の店員さん(明らかに店長)がよってきて、「その本は翻訳がまもなくでます」とか、その他、ゲーデル関連の本を教えてくれたw。確かその後も二回ぐらい店長さんには話かけられた記憶がある。もちろん今泉正光さんである。正直、いわゆる「今泉棚」を当時は当然のように眺めていたわけで幸運な時代だった。しかも本人のレクチャーつきw。

その後、僕の80年代の本屋風景は、高円寺の都丸書店の二階(経済洋書の宝庫、今持ってる重要なものはほぼここで買った)、東京堂書店の洋書売り場(思想系はここ)、フランス図書(当時は店頭販売や海外取り寄せもしてくれた)、北澤書店の新刊売り場、そして最終的には、北澤書店の古書フロアが書籍購入の最上位にあった。そういえばナウカ書店や紀伊国屋の洋書売り場もよくでかけた。

池袋にも専門書の古書店は多くあり、そこでフランス関係の翻訳やまた三木清全集もコツコツ買い集めてたな。

ネットになって便利にはなったが、なにか大切な知的なものを喪失してしまった気がする。

 

 

財務省の匂いのきついリフレ派への悪質なイメージ操作

財務省が国会がなくて暇になってきたのか、マスコミを利用してリフレ派叩きにご執心だ。ベッセント発言の利用なんかもその一環だろう。

以下の若田部さんへの言及も悪意の印象誘導記事だな。この日経の記事だと、若田部さんが「財政規律派」に転向だとww。草連打だわw

 

www.nikkei.com

 

毎日新聞の記事もやはり財務省発の匂いがきついな。

 


このデタラメ記事のように、若田部さんが官僚の人事を思うようにできるわけあるかいw。国会議員より権力もつただの民間委員ってなんなんだよww。情弱だましのよくある手法だよなあ。政策議論で勝てないと、こういうマスコミ利用した「陰謀論」「陰の権力者的イメージ操作」を流布する、本当に官僚とマスコミのよくやる手w。

 

実際には陰でこそこそちんけな策謀をこらして、政権へのダメージ狙うようなのが官僚、ここではおそらく財務官僚じゃないのかなw。知らんけど。いずれにせよ、情弱だましのワンパターンで、こういう昭和の政治記事の劣化版を本当だと思い込む人たちの問題でもある。需要と供給。

ケインズ『自由放任の終焉』訳や解注

今年は、ケインズの“The End of Laissez-Faire”(自由放任の終焉)の単行本が出てから100年にあたる。このパンフレットの目指すところは、政策の割り当てである。個人が自由にやっていればうまくいく領域と、公的な介入がないとうまくいかない領域を区別するということである。後者をちゃんとしないと前者もうまくいかなくなる。その意味で「自由放任は終わり」なわけである。ケインズは個人の自由を最優先に尊重していることを忘れてはならない。

 

この点を山形浩生さんの訳文を利用しておきたい。なお『説得論集』(1931)はこの「自由放任の終焉」のダイジェスト版である。

 

「現代の最も大きな経済的邪悪の多くはリスク、不確実性、無知の産物です。富の多くの格差が生まれるのは、一部の個人がたまたま立場や能力面で幸運だったおかげで、不確実性と無知を利用できたり、同じ理由で大企業がしばしば博打だったりするからです。そしてこの同じ要因が労働の失業の原因でもあるし、あるいはまともな事業期待の低迷や、効率性と生産の損傷の原因でもあります。でもその治療は個人の活動の埒外にある。個人としては、こうした病気を悪化させるほうが有利になるかもしれないほどです。思うに、こうした現象への治療法は、一部は中央機関による通貨と信用の意図的な統制に求めるべきです。そして一部は、事業状況に関するデータの大規模な収集と公開に求めるべきです」(訳書、157頁)

 

これは上記の主旨で、経済状況の困難には、金融政策と財政政策で介入する余地があることを述べている。

 

さらにケインズは、現在の経済政策論争からいうと興味深い指摘をしている。

「二番目の例は、貯蓄と投資に関するものです。社会全体としてどの程度の規模を貯蓄すべきで、そうした貯蓄のうちどのくらいの規模が外国投資という形で外国に出るべきで、現在の投資市場の仕組みが貯蓄を最も国民的に生産的な方向に分配しているかについては、何か協調性のある知的判断が必要だと私は信じてます。こうした問題を現在のように、完全に私的な判断と私的な利益の偶然にだけ任せておくべきではないと思います。」(同上)。

 

これは国民の貯蓄を生産的な方向に投資として向かわせるということをいっていて、現在の政策でいえばサナエノミクスの17分野の成長投資、危機管理投資の発想をまったっく同じである。その意味で、サナエノミクスはケインズ経済学の発展版ともいえるだろう。

 

このほかにケインズは人口についても経済思想史的な論点を提示している。この点についてはここでは脇道になるのでふれない。

 

さてこの「自由放任の終焉」は26年に単行本で出て(もともとは24年、26年の講演・講義が元)、その後は『説得論集』にダイジェスト版が収録され、また完全版がケインズ全集に収録されている。

 

日本語訳は山田文雄『自由放任の終焉』(1953、社会思想社)が最初である。ただし訳文は古臭く今日的な価値は乏しい。その後、『世界の名著』(中央公論社)に伊東光晴・宮崎義一訳が収録されている。山田訳より読みやすい。

 

ダイジェスト版が収録されている『説得論集』は、山形浩生訳、またケインズ全集版(宮崎義一訳)、ぺりかん社版(1969年、救仁郷繁訳)、日本経済新聞版(2010年、山岡洋一訳)がある。救仁郷繁訳は率直にいって読む価値は乏しい。

 

また早坂忠の解説・注釈がついた「自由放任の終焉」と「ロシア管見」の全文を収録した本が研究社から1981年に出ていて、これはつい最近まで気が付かなかった。古書でもあまり出回っていない本である。この解注本の解題は読む価値がある。早坂の『ケインズ』(中公新書)は、個人的には伊東光晴『ケインズ』(岩波新書)よりも学生時代に読んで得るものが多かった。

 

 

 

 



若田部昌澄『自由な経済と強い国家 サナエノミクスとは何か』(日経プレミアムシリーズ)

高市政権の経済政策(サナエノミクス)について誤解や無理解が多い。本書はサナエノミクスを支えるブレーンのひとりといえる若田部昌澄さんが、その誤解や無理解を一挙に薙ぎ払うために書いた、まさにいま求められる本だ。

 

まだ発売前だが、これを読むのは政策や政治を論じる人はマストでしょう。楽しみな本。

 

 

ベッセント米財務長官「日銀金融政策」タカ派発言と日本のマスコミの歪み、高市総理のブレのなさ

G20の場でベッセント米財務長官が植田日銀総裁と会談し、このひと月近くベッセント氏が米国メディアで発言してきたように、日本の金融政策に「特に」注文をつけたいのが明らかになっている。会談の直前にはロイターのインタビューでは、

https://jp.reuters.com/opinion/AHP3EPARKVNYVHV47VWACRJJSU-2026-08-30/

ロイターの記事では、日銀に利上げを求めるとはしないとしながら、アベノミクスの終焉を明言し、また「タカイチノミクス」には株主志向の労働市場の規制緩和を成果として述べている。この高市政権の経済政策の評価はオールドファッションであり、いまの高市政権の政策を十分に追っていない印象だ*1。あくまでも金融政策に主たる関心があるようだ。

 

まず米財務省のホームページから公式のステイトメントをみておく。

READOUT: Secretary of the Treasury Scott Bessent's Meeting with Bank of Japan Governor Kazuo Ueda | U.S. Department of the Treasury

2026年8月30日

ノースカロライナ州アッシュビル — 8月30日(日曜日)、スコット・ベッセント財務長官は、ノースカロライナ州アッシュビルで開催されたG20財務相・中央銀行総裁会議の傍らで、日本銀行の植田和男総裁と会談を行いました。

ベッセント長官は植田総裁の会議参加を歓迎し、共有するマクロ経済の優先課題について日米が緊密に連携することの重要性を強調しました。

長官は、インフレ期待を安定させ(アンカーし)、為替相場の過度な変動を避けるために、金融政策の適切な策定と発信が極めて重要であると指摘しました。

さらにベッセント長官は、円の実質的な過小評価に対処するための日本の断固たる市場および金融政策措置に対し強い支持を表明するとともに、円安が日本の国内インフレ圧力に寄与している側面に言及しました。

 

他国の経済政策の責任者が、日本の金融政策を直接に評価することは極めて異例である。このベッセント発言は日本のマスコミも注目することになった。特に普段から日銀の利上げ方針を支持し、他方で国債利回りを高市政権の財政政策への事実上の批判に利用しているメディアや識者はこのベッセント発言を援用して、持論を強化しているようだ。もちろんこれは日銀の利上げ路線と呼応するものと受け取ることが可能だ。ストラテジストの嶋津洋樹さんがXで指摘しているが、まさに「ご宣託」のように受け取る「専門家」も多い。

 

ベッセント氏、円安阻止へ「断固たる金融政策を支持」 日銀総裁に伝達 - 日本経済新聞

 

 

 

日本政府が日銀の金融政策に協調を明示的に呼びかけるだけで、「日銀の独立性」と大騒ぎで批判する一方で、米国の声はまさに「ご宣託」扱いである。マスコミや「専門家」たちの姿勢には大きな疑問を抱く。

 

日本の金融政策は国内経済の状況をみて判断するべきであり、他国との関係に重きを置くべきではない。この点はエコノミストの片岡剛士さんが正しく指摘している。

 

 

いまはベッセント氏のここしばらくの日本への姿勢に理解を示している浜田宏一先生の『国際金融の政治経済学』にも類似した視点が書かれている。

 

「他方,変動為替制度の下においては,利子率の水準に関する第二次的な政策の対立を除いて考えれば,各国は自らの貨幣政策を用いて,より自由に国民所得水準の政策目標を達成できることが明らかとなった.すなわち,変動為替制度は,少なくとも自分の国の政策目標は自国で最低限度達成できるという意味で,各国が相手国の金融政策に制約されない,つまり金融政策の独立性を保持する制度である.このように,変動為替制度は最悪の事態を各国が自ら回避できるという性格を持っている.したがって,第一段階のゲーム,制度選択のゲームにおいて変動為替制度を選択することは,各国が一種のマックス・ミニ戦略を採用することにほかならないということができる.」(同書、89頁)。

 

これは浜田先生版のマンデルの三角形の議論ともいえるが、変動為替相場制では、日本と米国はそれぞれも自らの国民所得水準を政策目標にすることができる政策の自律性を述べている。まさに片岡さんの指摘の通りに、われわれは自国の経済状況をもとにして経済政策を行える環境にあるわけである。

 

この浜田先生の本では上記の引用にも一部入っているが、副次的な他国との対立をふたつ示唆している。ひとつは、自国が金融緩和を行えば一時的に他国には近隣窮乏化が発生することだ。もう一つは、自国と他国では経済状況が違うのでそれぞれ最適な利子率が異なることである。このふたつの副次的な作用がいまはなぜか本筋であるそれぞれの国の国民所得の水準よりも重視されているといえよう。それはあまり賢明なことではない。

 

副次的な点の一時的な近隣窮乏化効果については、高橋洋一さんが指摘している。

 

 

さらに第二の点、日本と米国の金利が異なることで、政治的な葛藤が生じるという副次効果についても今まさに話題になっている。繰り返すが、このふたつの効果は副次的なもので、それを持ち出して主因の効果をなおざりにするのは極めて愚かしい。

 

いずれにせよ、この利子率(国債の長期利回りなど)については、日本のマスコミでは高市政権の財政政策によるものだとしている。これはおかしい。基本的には、国債金利は米国を主導して、日本を含めた多くの国の共通現象である。またそもそも日銀が利上げスタンスをもっていれば長期金利は政策金利に影響されるので上がって当然でもある。いずれにせよ、この点については金子洋一さんが適切に解説している。

 

 

 

また高市早苗総理はこの長期金利の上昇について以下のように発言している。

https://x.com/kantei/status/2094752648167886899

 


(記者)
 日本の長期金利を巡り、10年物の国債の利回りが、30年ぶりに一時3%まで上昇しましたが受け止めをお願いします。
 また長期金利の上昇で国債費が膨張し、政府が政策に予算を使う余地が狭まると見られますが、食料品の消費減税など、高市政権の「責任ある積極財政」で掲げる政策にどのように影響が及ぶと認識していますでしょうか。市場への信認をどのように確保していくのか教えてください。

(高市総理)
 金利につきましては、諸外国の政策の状況も含めて様々な要因を背景に市場において決まるものです。内閣総理大臣として、この市場の動向について具体的にコメントをすることは、市場に不測の影響を及ぼすことになりますので行いません。
 この予算編成を含めた経済財政運営にあたりましては、金利などの動向を含め、様々な経済状況を評価、分析しながら適時適切に判断していくというのは当然のことでございます。
 その上で先般、閣議決定いたしました骨太方針に沿って、恒常的な施策についてはこの大型の補正予算に頼るのではなく、これまでの方法とは違って、当初予算でしっかりと措置をする、という予算編成改革を高市内閣で大胆に進めてまいります。
 こうした取組によりまして、必要な財政需要にも適切に対応し、強い経済と財政の持続可能性の両立をしっかりと実現してまいります。お疲れ様でした。

 

 これはマスコミの煽る金利の上昇にはまったく組しないという姿勢である。またさらに「必要な財政需要」に適切対応というのは「責任ある積極財政」をゆらぐことなく追及するということでもある。

 

なお日本の財政状況については、田村修一さんの以下の論説も参考にすべきである。

 

 

国内の雇用や所得環境を犠牲にしてまで、外圧や投機的な金利変動に振り回される必要はない。いま求められているのは、他国の「ご宣託」に右往左往することなく、自国の実体経済の動向とインフレ率に愚直に向き合う金融・財政運営である。

 

*1:本筋とは異なるので注に入れるが、ベッセント氏(あるいは米側)の日本理解が市場原理主義的な古い枠組みにとどまっており、実態の危機管理投資や積極財政を捉えきれていない