「政治的決定」には「政治的反応」が伴う

 日本銀行の政策決定会合がまったく無内容に終わったことは、僕には「政治的な決定」に思える。おそらく現在の菅政権の不安定性(次期総裁選挙までの政治的空白期)をうけてのものだと推測する。もちろん海外要因、特にアメリカ経済に不安定性が高まるなかでは、円高の強まり、株安に拍車がかかる可能性が十分に予見されていたであろうが、それは一段の金融緩和という日本銀行としてはできるだけ避けたいシナリオの前では無視された形だ。

 ちなみにアメリカ経済の、特に消費の不安定性を示す一資料として、ミシガン大学の消費者期待指数をみてみると大幅に低下している。前月比だとマイナス11%近くまで下降。米国の失業率の高止まりと経済の先行きの見通しの不安定性によるものだろう。

 参照:https://customers.reuters.com/community/university/default.aspx(最新のプレス向け資料をクリック)

 このようなある意味で露骨な日本銀行の「政治的決定」と、予想されたように株安、円高、海外要因の悪化が伴えば、当然に政治的な反応がでてくるだろう。以下はその観測記事である。

「首相と日銀総裁、金融経済情勢について会談で調整中=関係筋」(ロイター)http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPJAPAN-16766920100813

 もちろんこのようなマッチポンプ的な政治的対応は、昨年の政府のデフレ宣言→日銀のデフレ承認、デフレ対策採用などというものとまったく同じであり、いや日銀法改正以来でも10数年繰り返されてきた光景でもある。

 観測記事のように、政府と日銀が会談をするかもしれない(というか、それは単に三カ月に一回の政府と日銀の話し合いの場を設定するという前政権との約束の履行かもしれないのだが)、しかし経済財政諮問会議を事実上運用停止して以降、政府と日本銀行が公式に協議する場がまったくないことも大問題であり続ける。

 また今回の「政治的反応」(むしろ前政権との約束履行ではないかと思うのだが…それだけいまの政権と日銀の緊張感が希薄)はマッチポンプであり、そこで何らかの果実が得られたとしても、そのような逐次投入的な対策では、この20年デフレを解消することにはほど遠い。むしろ有効な政策の選択肢を自ら制限している結果となるであろう。