浜田宏一先生の最新時論です。政府の「円高対策」の検討からはじめて、いまの政権と官僚たちの権力的な構図を分析しています。
1 政府の円高対策には経済原理が不在
政府の「円高対応緊急パッケージ」は、外為資金会計を利用して基金をつくりそれで円高不況企業に融資、また基金は国際協力銀行を通じて融資され、日本企業の海外企業や資源買収に利用、というものです。これを浜田先生は、まったく円高対策ではなく経済原理に即していないと両断。
なぜならいまの円高は、簡単化すれば、「円高が生ずるのは、円資産に対する需要が供給を上回っているからである」からだ。これは円が希少であることの裏返しでもあり、そのため円高とデフレはほぼ表裏一体の現象である。この現象を招いたのは、物価安定に責任を持つ日本銀行の問題である。日本銀行のデフレ志向的な政策によつていまの円高はもたらされているといっていい。
「円高とそれに伴うデフレ基調は、新聞各紙の論調が言うように日本に降りかかってきた災難ではなく、日本が自らの金融政策によって招き寄せたものである」。
2 政策レジーム転換が必要
もちろん金融緩和するだけでは不十分であり、円とドルなどのほかの資産の期待収益率の差によっても円高は規定されているために、その金融緩和がこれまでの日本銀行のデフレ志向の金融政策の在り方を改めるというシグナルを送ることが必要である、と浜田先生はいう。全面的に賛成だが、このデフレ志向の日本銀行の金融政策の姿勢を転換させることこそ、昨日来このブログでも話題にしている「政策レジームの転換」そのものであることはこのブログの読者の方々には明らかであろう。
そしてこのような自国の金融政策の選択=政策レジームの転換は、ほかの国の顔色をみる必要はない。まさに自国の望ましい物価、為替レート、失業率の組み合わせを選択すればいいので。国際的な協調介入は、純粋に政治的なもの、一時的な危機対応以上の意味を持ちえない。
しかしいまの政府の円高対応パッケージは以上のような政策にまったくなっていない。そればかりか、円高による産業の空洞化(円高によるコスト増加を嫌う企業の海外移転など)を促進するものである。これをおそらく促進しているのは、官僚、政治家、マスコミの経済的知識への無知であり、また同時に彼らの無知を支えているであろう経済的な利得の存在でもある。例えば、無知の産物としての円高対応パッケージが採用されれば、官僚たちはその天下り先である国際協力銀行などの権限が拡大することになる。
3 無知と利害
またこれは浜田先生が示唆しかしていないことだが、官僚、政治家、マスコミが、無知でいるほうが波風がたたなくていいからかもしれない。いままでと違う発言を経済的な知識を採用していうことは、それまでの人間関係を崩す可能性がある。ましてや円高対応パッケージが経済的に意味がないとか、円高は日本銀行の責任である、と無知なる仲間うちでいうことはかなりな覚悟が日本という閉鎖社会では必要だろう。それが真実と真理の採用を遅らせる。そう浜田先生の論説は述べている。
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