岩田規久男『そもそも株式会社とは』


 論説執筆のために。新書にしてはかなりレベルの高い内容になっています。論点も多岐にわたるので以下は僕の関心のあることろだけを単に書いただけです。

そもそも株式会社とは (ちくま新書)

そもそも株式会社とは (ちくま新書)


 ライブドア王子製紙などの敵対買収劇が話題になるたびに、「会社は誰のものか論」が台頭する。これは敵対買収は日本の企業風土にあわない、という主張の論拠として出てくるものである。著者は、この「会社は誰のものか論」は日本の株式会社の実体を誤解させる元であると指摘している。さらに誤解を招くだけではなく、敵対買収を日本文化論で反対する動機(これは従業員利益の確保ゆえ生じると本書ではみている)に利用される第三者割当増資やポイゾン・ビルのような敵対買収防止策の採用について株式側優位にするべきだという制度改革を著者は行う。むしろこの株主側優位の制度改革ために、既存の「会社は誰のものか論」批判を行っているといえよう。


 著者はとりあえず便宜的に、「会社は誰のものか論」の問題設定にのる形で、「株主主権論」と「従業員主権論」を対比させる。そして両者を経済の基本法則(希少性、インセンティブの法則など)を踏まえて、その効率性の高低を比較している。結果的には「従業員主権論」には限定的な意味でその制度上の利点を認めず、「株主主権論」に制度上の優位を与えるという展開である。


 さて第一章では、アメリカ型の企業統治が話題にあがり、そこでは特に80年代の敵対的買収は資源の浪費であったかどうかを、マイケル・ジャンセンの研究から、「80年代の企業買収による利益は、主として、同じまたは関連のある産業(とくに、過剰能力を持っている産業)の資産を結合することによって、非効率な経営陣や企業統治システムを、効率的な経営陣と企業統治システムに置き換えることから生まれた」と評価している。


 生産物市場での企業の評価・淘汰による効率化は有効(マートン・ミラーらの研究)だが、時間とコストがかかるので、それを企業買収が代替したというのが著者の基本的見解であり、この淘汰の過程で過剰雇用は解消される=解雇者の発生がでるが、それを吸収するのは政府の責任(マクロ経済政策や職業訓練制度)である、と指摘している。


 この企業買収の企業効率性への期待には、それが会社特殊的資本を損なうという批判がある、と著者は指摘し、この論点を日本型企業統治、従業員主権論などを素材にして反批判を行うことに本書の過半は割かれることになる。


 1980年代までの日本の企業統治は株式市場からの影響からフリーなので長期的視野の経営ができそれが生産性に寄与した説(ポーターらの仮説)への批判的検討にも紙数を多く割いています。続く