中野剛志『国力論』『経済はナショナリズムで動く』『恐慌の黙示録』

 稲葉振一郎さんのブログエントリーで急激に読書意欲を喪失してしまいましたが、創立記念日ということでこの日を利用しないともう研究会まで読む時間がありません。で、気合入れて三冊続けて読破。確かに現代経済思想研究会の面々が好みそうな本ではありますね 笑)。さて三冊順番に概要と簡単なコメント程度で。

 三冊は、『国力論』が思想的な原論、『ナショナリズム』がその現実への応用、「黙示録」が世界同時不況など金融面での応用となっている。

1)『国力論』

 新古典派経済学ではネイション(l国民)とステイト(国家)の区別や、そもそも国家の役割さえも事実上無視されている。しかしおよそほとんどの経済政策はネイションの経済生活、理想、倫理などを最善のものにするために行われている。その意味で経済政策は経済ナショナリズムとは無縁であることは不可能である。

 例えば、アダム・スミスでもステイトがネイションを改善する政策を支持しており、その意味では経済ナショナリズムの徒である。他方で経済ナショナリズムであることは、自由貿易主義とも矛盾しない。一時的な幼稚産業保護や産業政策と、長期的な自由貿易主義が矛盾しないということと同じである。

 しかし今日の構造改革論はそのようなネイションとステイトの関係を忘却してしまい、単純な市場中心+政府介入排除の論理をとってしまい、そのことがネイションの衰退をもたらしてしまった。

 というのが中野氏の主張の核にあたる部分。それを補強するために本書では、アレクサンダー・ハミルトン、F.リスト、ヒューム、マーシャルらの理論が紹介され、実は経済学の歴史の中に、「国力」(ネイションの状態)を考慮した経済学の流れが連綿と続いていたことを明らかにしていうことに紙数を費やしている。

 その歴史分析の中で、国力の経済学の特徴として、1)産業の発展が国民経済の多様化を通じてネイションの統合をもたらすことを重視すること(協同組織、中間組織もネイションの統合を促す母体として重視する。また経済格差是正のための社会政策を積極活用)、2)産業発展は特に国防にとって重要であり、これは経済ナショナリズムの貫徹のための政治的裏付けとなる、3)産業政策が国力の経済学の中心的な位置を占める政策であり、少なくとも民間部門の将来への不確実性を軽減し、ガイドラインを提供する役割を政府はもっている。

 国力の経済学は、また国ごとによって異なる制度や慣習が、その国の産業発展=ネイションの統合に貢献することを明らかにしている。その意味では、日本こそそのような制度や慣習がうなく機能して発展を維持していた。しかし90年代以降の構造改革論はそのような日本の国力を否定してきた。

 「われわれは日本の国柄(ナショナリティ)を保守するために改革を実行しなければならない」(本書203ページ)。

国力論 経済ナショナリズムの系譜

国力論 経済ナショナリズムの系譜

2)『経済はナショナリズムで動く』

 世界は経済ナショナリズムで動いている。鉱物資源、基幹産業、エネルギー、食糧、金融すべてナショナリズムと無縁ではない。グローバリーゼーションもアメリカの経済ナショナリズムの発露である。世界がグローバル化しても国民国家(ネイション・ステイト:国民の力を発揮させる国家)は重要である。

 そもそもアメリカの政治的意思の発露であるグローバリゼーションは、資本主義の多様性(各国の制度・慣習が経済発展に貢献していて、またそうすべきだ論)の思想的勝利を無視して、各国に同一の制度を押しつけるものである。このような政策観は、日本の開発経済学者たちが東アジアの経済発展の分析でみせた、各国固有の制度が経済発展に大きく貢献しているという成果を無視しているものである。しかし90年代からのグローバル化はこの事実を「見失っていた」=「見失われた10年」。

 たとえば雇用の場をみてみよう。構造改革論者は長期雇用を支持する日本型経営システムを否定し雇用の流動化を経済活性化のキーとする。しかしアルバート・ハーシュマンの「退出」と「発言」の理論を使えば、簡単に他に移動できない雇用環境でこそその雇用環境を改善しようとする「発言」がみられ、それが経済の活性化につながる。

 これと同様なことはネイションにもいえる。「退出」が容易だとそのネイションは衰亡しやすいが、「退出」が困難であれば「発言」によりネイションが改善される。グローバル化は富裕層の国外「退出」などを容易にしてしまい国力を低下させてしまいかねない。

 経済ナショナリズム=ネイションの状況を改善する政策は、市場と社会の政府による微調整を重視する。財政金融政策しかり。しかも最も重要なのは産業政策(一例の軍事政策、軍事ケインズ主義)。地球温暖化防止の技術政策など「ナショナル・シンボル」という形で政府がガイドすることは重要な意義をもつ。

 さてグローバルな統治形態は文化の画一化をもたらしそれは紛争をももたらすので賢明ではない。やはり国民国家が民族や文化の多様性と折り合いがいい。

 日本の構造改革論者は経済のグローバル化によって資本を海外からひきつける市場の構築(規制緩和)を目指した。対して中野氏や「欧米の次世代の政策理念」は、国力の源泉を国内に見出そうとする。

 「国家政策に責任を負う者は目指すべきは、富を求めて国の外へ向かう力よりも、むしろ富を生み出す国の内なる力なのである。それは、すなわち、ネイションの統合と連帯を維持・強化し、ナショナルな文化や価値に根ざした共同体や共同体的組織といつた中間組織を防衛し、それらを長期的に発展させるということである」189ぺージ。

経済はナショナリズムで動く

経済はナショナリズムで動く

3)『恐慌の黙示録』

 本書は昨今の世界同時不況を上記した経済ナショナリズム的視点から分析した著者なりの金融理論である。その中核はハイマン・ミンスキーの金融不安定化仮説である。ミンスキーは資本主義は財・サービスの価格メカニズムと金融メカニズムの二重構造のダイナミズムとして理解している。そして必ずしもこのふたつのメカニズムが同時に均衡しないために、資本主義は絶えず不安定性に直面している。特に金融システムにはシステムを安定化させるアンカーが存在しない。経済主体は、たやすくその金融的態度を投機化してしまうだろう(ポンツィ金融)。

 またヴェブレンらが指摘したように株式会社制度の所有と経営の分離は、ケインズ的な不確実性(確率計算不可能な将来)にうまく対処できず、むしろその不確実性を増幅してしまう。今回のサブプライム危機もこの所有と経営の分離がうまくいかなかったことの表れである。

 そもそも金融市場が支配する産業システムは道徳や自由への脅威でもある。企業は株式市場を通じて単なる利潤最大化の装置と化しているからだ。こういった事態を防ぐためには、共同体の維持を実現しているともいえる日本型経営システムを保持するのだ。あるいは慣習を市場にビルドインするのだ……疲れた 笑

恐慌の黙示録―資本主義は生き残ることができるのか

恐慌の黙示録―資本主義は生き残ることができるのか

(コメント)

 上記三冊についてまず読みやすいことはいいことでしょう。しかし上の概要を一読すれば僕がこの三冊について何がいいたいかすでにおわかりになる読者も多いことかと思いますが、まず僕も『日本型サラリーマンは復活する』という題名だけだと、日本型経営システムがいい!みたいにとられかねない本を書いてますが、その本では本書とは異なり日本型経営システムを保守せよ、とは主張していません。「失われた10年」は、構造的な問題(日本型経営システムが悪い)ではなく、循環的な問題(総需要不足)であって、その対応には特に失敗していると思われる金融政策を中心にした財政金融政策で対処すべきだ、と書いたわけです。 したがって日本型経営システムは経済合理的な側面はもつが、それが「いい」とも「悪い」とも断言していないわけで、ましてやそれを積極的に保守すべきだという中野氏の主張を支持することはできません。なぜなら問題が循環的な問題ならば、そこで日本型経営システムを保守して、そこに体現されている制度を強化すべきだ、というのは単なる政策の割り当ての誤りであり、その意味では中野氏が問題にしている構造改革論者(これは循環問題を構造問題と考えている私たちのいう構造改革主義ないし誤った構造改革論)と中野氏の立論はそう違いません。


 これで中野氏と少なくとも僕の主張との基本的な違いとその問題点を指摘したわけですから終わりでもいいんですが、あといくつかコメントを。

 まず僕もそうですが、経済思想(史)への興味ないし援用として、時論的なことを書いているわけですが、本書では、もしグローバル化が日本的経営システムのよさを「見失った」ことが停滞を招いたというのならば、その事実を示す実証の利用または参考文献などの支持をするべきでしょう。残念ながら本書にはそのような事実からのフォローがなされていません。

 また同様のことは産業政策の効果についてもいえ、著者自身が日米二ケースのみが成功したとする産業政策(つまりそれ以外は失敗だったわけですが)に効果を期待する理論的な根拠はもちろん、事実からの裏付けもみえない。むしろ著者自身はその議論を回避している。

 産業政策の一例として軍事政策をあげているが、政府が介入して行う優位性ははっきりはしていない(参照:『戦争の経済学』や戦時下での日本政府の事例など)。

 日本の開発経済学者たちがすべて開発独裁型の経済発展モデルを支持してはいない。有力な反論としての安場保吉の業績など

 ハーシュマンの「退出」と「発言」モデルは雇用の流動化論と矛盾しない。ハーシュマン自体はたとえば旧東欧諸国からの「退出」がその国(中野流のネイション)を改善する「発言」となっていることに注目している。日本ではこの点を日本経済論に応用した岩田規久男先生の『日本経済を学ぶ』などを参照。

  
 ミンスキーの提言である最後の貸し手の機能強化などは現実にすでにFRBなど各国中銀に採用されていて、ミンスキーの理論的な貢献も負債デフレの理論モデルの系列で十分に吸収されている。特にミンスキーから学ぶことは、世の中を過度に刺激する風説の根拠ぐらいでしかないだろう。資本主義は終焉するだろうか? それは終焉してから議論しよう。
                                      
 最後に自分の中野ー西部ー村上泰亮的なものへの批判的検討は以下の書で概説した。

経済政策を歴史に学ぶ [ソフトバンク新書]

経済政策を歴史に学ぶ [ソフトバンク新書]