ロナルド・ドーア『日本型資本主義と市場主義の衝突』

 旧ワイアードにいまもログが残ってるけどいつ消えるかわからないのでこちらでも保存。

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 「日本型」の資本主義や雇用システムというものはあるのか? 答えはイエスである。各国によって制度や規範が異なればそれに応じて「××型」と形容してもなにも不可解なことはない。経済の与件として考えるか、あるいは経済主体のインセンティヴ構造に関連させて、より「内在的」に考えるかで、この「××型」への対峙の仕方が異なるだけだろう。

 さらに一般に「××型」といわれる経済システムであっても、例えば「日本的雇用システム」の特徴といわれている「終身雇用」、「年功序列」などは、それぞれが日本独自のもの(すなわち過度に日本の制度的仕組に依存して独自の説明が必要である)かは、疑問である。

 例えば、長期の雇用慣行は、日本と同様に欧米の大企業にもみることができる(ジェームズ・C. コリンズ他著『ビジョナリーカンパニー』日経BP出版センターなどを参照されたい)、また年功序列も人的資本仮説、効率賃金仮説などと、他の諸国の雇用システムを観察するときに適用される見解によって、その制度の特徴を記述することが可能である。要するに「日本型」と形容される経済システムの相違はあるが、その相違がよって立つ経済原理には奇異なものはない、ということである。

 特にドーアの主張である「日本型資本主義」が効率的で長期的に安定的なシステムである、という評価を考える際には、いま書いたような一見すると些細な点に留意することが大切である。私もドーアと同様に、「日本型資本主義」はかなりうまく「効率と平等のトレードオフ」に対応した仕組みであると思う。

 もちろんこのシステムに問題がないわけではない。構造的な問題ならおそらくいくらでも列挙することができるだろう。しかし、どの構造的問題も「日本型資本主義」にとっては致命的とはいえない、と私は理解している。おそらくこのような断言は多くの批判を招くだろう。

 ここでドーアのいう「日本型資本主義」の特徴を整理しておきたい。長期的な契約関係を重視する企業構造(日本型雇用システムや系列間・取引先との関係など)、競争者間の協調(競合する企業同士さえゼロサムゲーム的に行動するのではない。また談合の経済合理性への言及など)、産業政策に典型的な政府介入のあり方といった諸特徴が、相互に補完関係にあり、このシステム内に属する経済主体の動機付けに対して整合性をもっている、というものである。

 私は産業政策が戦後の日本経済の成長にどれだけ寄与したのか疑問に感じている。この点はワインシュタインら(Beason, Richard & Weinstein, David E, 1996."Growth, Economies of Scale, and Targeting in Japan (1955-1990)," The Review of Economics and Statistics, vol. 78(2), pages 286-95)やマイケル・E・ポーター&竹内弘高(『日本の競争戦略』ダイヤモンド社)らの実証研究が参照されるべきだろう。

 私も近々、産業政策の実証に関する展望を公表する予定である。むしろこれらの実証研究では、ドーアの指摘するような生産性への寄与や研究開発効果などはほとんど検出されず、反対に産業政策の名の下で行われて「効果あった」のは、衰退産業の保護などの生産性に悪影響をもたらす政策ばかりであったということである。

 ただし政府介入一般には、マクロ経済政策や、いわゆる「セーフティネット」と表現されている社会保障制度や教育・防衛や各種インフラ整備、そして適切な行政の直接介入などがあるだろうし、そこまでを否定する必要はあたりまえだが微塵もない。また談合やそのほかの排他的な商慣行などは一般的に改善されるべきだろう。また産業政策的政府介入や談合が廃止されたからといって、ドーアのあげた「日本型資本主義」がその補完的システムゆえに瓦解したり本質的な変容をとげるとも思えない。

 ドーアも批判の対象とし、私もその批判に同調しているが、今日、日本で「構造改革」を主張する論者たちの多くは、政府の適切な介入のあり方を(啓蒙の次元ではあえて無視ないし徹底的に批判し)、政府に依存する主張をその大小に関係なく、「社会主義的」と非難するのが論戦の流儀のようである。

 ドーアも(その立場に基本的に賛成している私も)、このような構造改革を声高に主張している論者たちの効率第一主義に対して、その「効率性という回転する歯車にわずかばかりの砂をかける」ことを目指しているのだ。特に(大企業を中心とする)いわゆる「日本型雇用システム」や長期的な取引関係を重視する日本の経済システムが、経済のグローバル化や金融化によって適応不全に陥ったとは考えられない(この点については、野口旭・田中秀臣構造改革論の誤解』東洋経済新報社田中秀臣『日本型サラリーマンは復活する』NHKブックスなどを参照)。

 本書では、また長期的なコミットメントがもたらす「信頼」や「公正」の観点が強調されていて、株主や経営者たちの短期的な利潤獲得行動に警鐘を鳴らしている。この点はたとえば最近のJR西日本の事故や、ライブドアの結局は短期的利益のみあげただけの敵対的買収事件などの事例をみれば、この「信頼」「公正」の重要性と、他方で短期的な貪欲の問題がさらに明らかになるだろう。ドーアの近著『働くということ』(中央公論新社)も、この問題を「労働の公正」の見地からとらえたものである。

 最後に、ドーアは日本の経済システムが苦境に陥っているのは、主に不況の持続のためである、と正確に診断している。彼はそのような言葉は使わないが、日本の潜在的成長力はこの停滞にあっても依然として高い水準になると評価しているのだろう。

日本型資本主義と市場主義の衝突―日・独対アングロサクソン

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