フランク・ナイトは本当にミルトン・フリードマンを破門したのか?(続)

http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20061122#p1
の続き


宇沢弘文『ヴェブレン』(岩波書店)より引用


「八十歳の誕生日のお祝いから、ひと月ぐらい経ってからだと記憶している。ナイト教授がみんなを集めてつぎのように宣言したのである。ジョージ・スティグラーとミルトン・フリードマンの最近の言動は目に余るものがある。この二人は、私の最初の学生であるが(二人とも博士論文をナイト教授の指導のもとに書いた)、今後、私の学生であったということを禁ずる、と」(187頁)。


事実。

 宇沢氏の()書きにあるフリードマンがナイト教授の指導のもとに博士論文を書いた、というのは、上記の本ブログでも書いたが、博士論文がクズネッツとの共同作業であること、コロンビア大学で執筆と博士号を授与されていることから誤りである可能性が非常に高い<先のブログに書いたように内橋氏の本の方は間違いである>。スティグラーは調査中。



では、宇沢氏のいっているようにフリードマンとスティグラーはナイトから「今後、私の学生であったことを禁ずる」ことになったのか?


反証例その1:スティグラー、フリードマン夫妻の自伝にはナイトとのよき思い出(ナイト引退後含む)とローズの場合は家族ぐるみの付き合いの記述しかない。


反証例その2:フリードマンたちが戦前に編集したナイトの論文集の再刊が、上記のナイトの発言(1967年)後に出版されている。ちなみにナイト没年は72年


The ethics of competition : and other essays / by Frank Hyneman Knight
Libraries Press, 1969
363 p ; 23 cm. 注記: Reprint of the 1935 ed ; Essays selected by Milton Friedman an
d others ; Cf. pref ; Bibliography: p. [11]-18
ISBN: 0836910885


反証例その3 スティグラーの新規の序文を付して、ナイトの『危険、不確実性及び利潤』が71年に再刊されていて、そこではスティグラーが学生として二度目のナイトの著作出版に携わったことの喜びと感謝をナイトに表明している。


以下そこから引用

 Some thirty-five years ago three fellow students(Milton Friedman Homer Jones and W .Allen Wallis)andI brought out The Ethics of Competition,and I cannot refrain from expressing my personal pleasure for this second opportunity to express my gratitude to and admiration of Frank H.Knight.


反証例4 ナイトの告別式(72年5月24日)でスティグラーは学生を代表するひとりとして以下の弔辞を述べている(ローズ・フリードマンミルトン・フリードマン:わが友、わが夫』より引用)


「先生は愛すべく、不屈で、普通の尺度でははかれないお方でした。しかし先生の強い影響力は、その風変わりな性格や、人間的魅力からきているのではありません。先生の影響力のもっとも大きな源泉は、知識に対する純粋な、そしてあくなき追求です。真理に対して全身全霊を捧げるということが一体どういうことなのかということを、先生のように徹底的に教えて下さった方は私は他に知りません。先生は権威に対して常に疑惑を持っておられました。この点について、私たちの中には先生の影響を受けすぎたものもいるほどです。これは不思議なことですが、理性以外の権威に一切屈しないという先生の態度は、傲慢とは全く無縁であり、むしろ一種の謙虚さにつながっていました。特に私たち学生との関係においても、常に真摯な態度を崩されませんでした。先生は私たち学生の考え方も、有名な学者の見解と同様、少なくとも期待を以て聞いてくださるのでした。先生があまりに真剣に私たちのいたらない考えに耳を傾けられるので、時に穴があったら入りたいような気持ちになることもありました」(10-11頁)。


反証例以前にフリードマンとナイトは本当に「私の学生」といえるほどの師弟関係があったのだろうか? スティグラーはあったのかもしれないが、フリードマンに影響を与えたナイトとの関係はこれは別途検討するべき問題か。

次回はフリードマンは宇沢・内橋本が書いたような黒人差別論を展開していたのか否かを考えます