フリードマン悪玉論

 赤間さんところで土曜の朝日新聞で経済思想関係の記事があったことを知り、ちょっと読んでみた。
http://d.hatena.ne.jp/akamac/20090207/1234016184

折しも,藤生京子「古典の思想家 再注目 世界不況の経済学」(朝日新聞,2009年2月7日付)の記事があった。危機の時代を迎え,スミス,ケインズハイエクシュンペーターガルブレイスなど近現代の「経済学・経済思想の泰斗」が引っ張りだこで,「遠ざけられがちだった古典」が注目されている,という。スミス,ケインズハイエクの写真を載せ,堂目さん,間宮さん,稲葉さんらの談話などを引いて,「公共政策と個人の生活をつなぐ回路が,人間社会を,深く多角的に洞察する古典の知見から見つかるかもしれない」と結んでいる。

 元記事http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200902070091.htmlもここで読めるようだ。

 ところでこの記事にもあるが

新自由主義の元凶として批判されるフリードマン(1912〜2006)の『資本主義と自由』も、「実際のところどうなのかという興味」(担当編集者)からか、版を重ねている

 僕は実はいまのこの危機こそフリードマンの成果を活かすべきときはないと思っている。というか、例えば海外のブログでの生産的な論争の背景(最近でもマンキュー対クルーグマン、バロー対クルーグマン、ルーカス対クルーグマンなどなど)には、かならずフリードマンの理論的成果をどのように解釈しているかが決定的にかかわっている。

 政策ベースでも、バーナンキFRB、そしてオバマ政権で経済問題で要所を締めているクリスチャン・ローマーもフリードマン大恐慌分析の影響にあるといっていい。

 さらに日本でもベストセラーになった『ヤバい経済学』もまさにフリードマンが始めたシカゴ学派の価格理論の流れにどっぷり使ったものだ。日本の評者や読者の99%以上はそのことに気がつかないが、この本はフリードマンの遺産の上にある。

 フリードマンの遺産を積極的に評価し、その著作を今にいかす古典として読まないではまともな経済論議はできないか、できても浅いものでしかないだろう。

 しかし記事にもあるが、日本ではフリードマンは「新自由主義」あるいは「市場原理主義」の代表として、いまやほとんど「悪」の象徴である 苦笑。これはまさに日本の論壇の低レベルを示すものでしかない(まあ、僕のように院生時代にトービン、オーカン、スティグリッツの著作を愛読した人間がこのようなフリードマン再評価をいわなければいけないほどの低レベルといいかえてもいいだろう)。

 実は数日前に富柏村日剰 香港日記さんからメールをいただいて、以下のことを知った。まさにいまの論壇のフリードマン悪玉論の雰囲気を伝えて余りある。

http://d.hatena.ne.jp/fookpaktsuen/20090202#

これについて偶然、TBSラジオの「アクセス」で今夜隔週で出演の田中康夫氏のコメントをPodcastで聞く。田中康夫ちやんはこの西部&苅部対談を取り上げ、康夫氏は西部氏が自分と(主張は)同じくハイエク自由主義が間違つてゐたのではなくて……と西部氏がハイエクを語つたことを取り上げ、そこから西部氏も自分(康夫氏)も

ハイエク自由主義が間違つてゐたのではなくて、ミルトン=フリードマンの暴走する弱肉強食の新自由主義が間違つてゐたのであつて、ハイエクが述べてゐたことは寧ろ……

と語り、思ひつきりのフリードマン悪者論。田中秀臣氏の指摘を思ひ出す。内藤克人、宇沢弘文といつた経済学者がフリードマンをきちんと理解せず、ただ誤解と印象でネガティブに取り上げてゐることを指摘する秀臣氏。康夫氏のこれもフリードマンを語るのではなく他を語る際に悪しき例としてのみフリードマンを用ゐる。なぜフリードマンは死後もこんなに悪者扱ひされるのか


 この間、ある講演会によばれて、そこでかって日本を代表した理論経済学者の友人という方が、僕のフリードマン解釈に関連して聞いたことがあった。その日本を代表した理論経済学者は、フリードマンが死んだことを聞いたときに奥さんと一緒に抱き合って喜んだという。それが本当かどうかは知りえないが、僕には心がめちゃめちゃ寒くなる証言であり、その講演会はもっとも後味の悪いものだった。

 最後に以前、このブログでも引用したが、フリードマンたちの大恐慌期の政策観を紹介しておこう。

シカゴ大学は別でしたが、多くの伝統的な数量説の信奉者たちが、きまってとりあげ、アメリカのみならず世界各国の経済学課程で、必ず持ち出された大不況についての説明は「先行したブームの当然の帰結」であり、それが「ああまで厳しくなってしまったのは、物価や賃金の暴落を防ぎ、企業のゆきづまりを避けようとして、当局がやっきになっていろいろな政策を行ったからだ」というものでした。彼らは、大不況が起こったのは、金融当局が「恐慌」前にインフレ政策を取ってきたからであり、大不況が不必要に長びいたのは、「恐慌」後も、金融緩和政策が取り続けられたからであると考えていました。彼らが唯一の健全な政策と主張したのは、不況をそのまま進行させ金融コストをさげ、弱体で不健全な企業を淘汰してしまうというものでした。

 ですから、ケインズの不況に対する考え方や、財政赤字によって不況を克服する方策が、はるかに明るく苦痛の少ないやり方だとして熱心な受け取り方をされたのはむしろ当然だったといえるでしょう。しかし、ナイト、ヴァイナー、サイモンズ、ミンツなどの諸教授の下で研究していた私たちシカゴ大学の仲間たちに取っては、ケインズから得るものは、ほとんどありませんでした。私たちの先生方は、不況の間中一貫して、銀行がつぶれ、企業が破産するのを座視しているとして、金融当局をするどく非難しました。非難は、研究会の討議、一般向けのパンフレット、そのほかのあらゆる手段を用いて行われました。彼らは、連邦準備制度公開市場操作を拡大し、政府の金融力を高め、銀行の流動性を増加することを主張し、同時に政府がデフレ抑制のために赤字予算を編成することを事あるごとに要求しました」(『わが夫ミルトン・フリードマン』邦訳15-6頁)。