さらっと以下は『セーラー服と機関銃』ネタばれつきですのでそこんとこよろしくお願いしますが。
長澤まさみ嬢の『セーラー服と機関銃』終わっちゃいましたね。機関銃でバババババババァアみましたか? で、おじさん、この間、元祖薬師丸ひろ子版の『セーラー服と機関銃』もDVD借りてきてほぼ20年ぶりに見ましたよ。
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で、やたら両方とも組員さんはじめ身近な人たちが悲惨に死んでいってしまうのは同じでして、旧作*1では冒頭の火葬場の炎に向かって拝む薬師丸の殺生菩薩あるいは修羅観音(そんなのないかw)ぶりが物語の主調音を構成します。今回は眼鏡っこの長澤まさみ版星泉が湾岸を自転車で青空の下を爆走するのがほぼ冒頭でしたが。この出だしが物語としての両者の印象の違いを構成しているといえましょうか。
で、まあ映画の雰囲気も風祭ゆきvs小泉今日子、「クルージング」*2vs元警官や人のいいプログラマー、新興宗教の教祖vsただのw政治家 などとの対比をみればいかに今回が灰汁の強さをおさえたしあがりかがわかります。
最終的に、今回は「かい・かん」は無しでございましたね、ご同輩。原田知世の失敗を繰り返すことを回避したのか、ともかくあの映画版の方は本当に薬師丸ひろ子は出血するは、冒頭の阿修羅観音を共鳴する陶然とした表情はもうこれは一生に一度できるかどうかの超越演技のように今回再見して思いました。残念ながら長澤まさみ嬢の場合は機関銃撃ちまくりのあとの「徒労感」でしかなく、官能美には乏しいもので、ある意味、それはアスリートの達成感、体育会系の健康な汗にも思えるものでした。やはり体格の差もこの印象に大きく貢献しているのでしょうか。薬師丸ではそのコンパクトな肉体がある意味機関銃に振り回されることで内なる野生(の証明 違)を引き出されたかのようですが、今回の長澤まさみ嬢の場合はその若手女優では蒼井優らと並ぶ傑出した身体能力の高さが災いしてしまい、機関銃に振り回されること無くその肉体の躍動の一部に収まってしまっております。
で、先ほど書きましたが、この物語は多くの死を伴います。薬師丸の場合は、最終的にどこか壊れてしまったと私は思うのです。それが新宿の雑踏を闊歩するセーラー服なのに赤いハイヒールをはいたあの最後のシーン。そして群集の中で「見世物」として演出され、地下鉄の吹き出し口でモンローのおなじみのスカートを風で巻き上がらせる姿へのアナロジーに至ります。そして「私、ふしだらな女にになりそうです」で幕になるわけですが、そこにはあたかも『指輪物語』、『風の谷のナウシカ』wと同じような、英雄ゆえに現世(群集の中)にとどまれないものの姿を映し出しているといえるのではないでしょうか マル。
ところで、長澤まさみ嬢の場合は、最後、「ほしいずみ、がんばります」と爽快です。健康でございます。彼女の身体能力の高さがここでは完全にうらめです。彼女は機関銃の乱射も愛した人たちの死も引き受けるだけの健康な精神と肉体を保持しえたのです。というかそうとしかみえない肉体をしているのですからしゃあないです。まあ、それでも死んだ人がみえて最後は一緒に行進してるんで壊れてるという説も可能でしょうけども (^^)。
若干、最終話のつくりが弱い弱すぎるというのが私の偽らざる印象でした。やはり長澤まさみ嬢もその身体能力に見合っただけ壊れてほしかったと思うのです。その場合、機関銃だけじゃあ、不足だったかもしれませんがorz