若田部昌澄「歴史としてのミルトン・フリードマン」

 『経済学史研究』の最新刊に掲載。最新の経済学史研究は、アクター・ネットワーク理論が積極的に利用されている。経済学者たちの交流や交渉にしぼり、彼らの主張をアクター、概念、テクノロジーの連関から理解するものだ。このようなアクター・ネットワーク理論の光の中で、従来の「シカゴ学派」「新自由主義者」「市場原理主義者」などとレッテル貼りされてきたフリードマン像がどのように変貌していくのか、そのような観点も踏まえながら若田部論説は最近のフリードマン解釈を手際よく整理している。

 このアクター・ネットワーク理論的な観点から、フリードマンの属した「複数の歴史的文脈と知的ネットワーク」を、この論説では6つの局面で明らかにしている。1)20世紀後半の経済科学、2)全米経済研究所(NBER)の研究伝統、3)シカゴ学派の研究伝統、4)貨幣・景気循環理論からマクロ経済学へ至る経済理論史、5)パブリック・インテレクチュアルとしての活動、6)新自由主義運動への参加者、である。

 詳細は論文にあたっていただくことにして、ここでは五番目のパブリック・インテレクチュアルとしての活動、特に議論の多いアルゼンチンの独裁者であったピノチェット(発音としてはピノシェが正しい…若田部論説は丁寧な補注が多くこの点の注意喚起もすぐれている)との関係をみておく。

若田部論説はまず事実関係を確認する。

1)フリードマンは同政権の経済顧問であったことはない。1975年3月に数日間訪問、複数の人間と一緒に大統領と45分間会談。「その訪問では大学で講演し、チリで自由が脆いものであること、チリが政治的に自由でないことを述べている。またチリの大学からの名誉博士号贈呈」は拒否。
2)「シカゴボーイズ」との関係…シカゴ大学がチリ・プログラムとして連携強化。フリードマンは価格理論などを教えただけで、このプログラムの中心ではない。
3)しかしシカゴボーイズたちは「フリードマン以上のフリードマン主義者」として知られるようになった。この評判は、教えをうけた価格理論がシカゴ大学の教育システムの根幹であったこと、フリードマンの名声によるバイアス。
4)ピノチェの経済政策は「シカゴボーイズ」招へい前にすでに高いインフレなどで破たん。
5)フリードマンは高いインフレについては「ショック療法」を提唱していた。。またチリだけではなく、フリードマンソ連、中国などにも招へいされ、そこでもインフレ対策には金融引き締めを提唱。

なぜフリードマンだけが批判されるのか?

1・自伝でのフリードマン自身の解釈。ニクソンら保守政治家との交際、Newsweekのコラムニスト、ノーベル賞などの有名人効果。
2.ジョーン・ロビンソン、ガルブレイスらは共産党支配下ソ連、中国に招へいされ、その政権を賞賛した(フリードマンはしていない)にも関わらず、彼らのその行為は無視されるバイアスが世論にある。

この擁護への批判としては、フリードマンは名声を利用されるリスクに無自覚すぎたというもの。

若田部論説の評価

「ロビンソンやガルブレイスとは異なり、権力の集中をなにより危惧する自由主義者を標榜する限りは、左右に限らず独裁政権とのかかわり方に慎重であるべきだったという意見はありうるだろう。ピノチェトとの関係がいまだにフリードマンにつきまとう問題であるとしたら、最も説得的な理由は、フリードマン自由主義とかかわるからだといえる」。

以上が若田部論説のごく一部分であるフリードマンとチリの独裁政権との関連についての概要である。

 さてフリードマンのチリの独裁政権とのかかわりを厳しく批判するものとしては、内藤克人氏の『悪夢のサイクル』などがある。このブログでも何度かフリードマンの政治的な関与についての批判について、反論をしてきた。以下のエントリーを参照のこと。

フリードマンは黒人の差別問題を人種差別されるからではなく努力が足りないからだ、といったのか?
フランク・ナイトは本当にミルトン・フリードマンを破門したのか?
宇沢弘文翁の怒り