『エコノミスト』の2010年5月4日・11日合併号を古本屋から購入。生誕100年を記念した下村治のミニ特集が組まれていた。このブログでは下村については比較的触れてないので、ここで少しメモ書きをしておく。ミニ特集は編集部による下村略歴、金森久雄の下村理論の展望インタビュー、ご子息の下村恭民氏へのインタビューの三部構成。
下村は1910年11月生まれ。東京大学経済学部卒、大蔵省、日本開発銀行設備投資研究所長など歴任。52年『経済変動の乗数分析』で“下村理論”と後に呼称される理論を展開。この理論から日本の高度成長を予測、池田隼人内閣では首相のブレーン、「所得倍増計画」策定に関与。
47年の『第一回経済白書』執筆陣で都留重人と対立。高度成長論争でも上記した観点から他の論者と論争。74年1月にゼロ成長論を唱える。80年代では一種の「バブル」批判を展開したと金森も編集部も整理している。
金森氏の下村理論の要約は以下。
「下村さんの経済理論は、52年に博士論文として書かれた『経済変動の乗数分析』にまとめられていますが、簡単にいえば、需要中心のケインズ理論に成長理論を組み合わせたものです。ケインズは、30年代の需要不足状況を生きたために、需要をつけることで所得や雇用を増やすことを考えた。だが、戦後日本は供給力が不足で、需要だけを増やせばインフレになるだけだった。そこで下村さんは「有効産出」というまったく新しい道具を発明し、設備投資はそれと同額の生産力を生み出すと同時に同額の需要を作り出す、すなわち「産出係数が1」という有名な説を打ち出した」(39頁)。
高度成長期では、当時日本銀行にいた吉野俊彦らと成長論争。吉野らは物価上昇を問題視。これに対して、金森は「でも下村さんは、高度成長で生活が向上するのに伴って物価が上がるのは自然なことだと言い続けてました。今考えれば、下村さんの見方は当然だったと思いますが、そういう声は本当に少なかったですね」(40頁)。
74年以降の下村のゼロ成長論については、金森は日本経済の石油ショックへの適応力を認め、他方で下村のゼロ成長論は正しくはなかったと指摘。「亡くなるちょっと前には、2〜3%の成長力はあるようなことを言っていましたが…」とする。バブル批判は正しかったと金森氏は指摘。「また。オイルショック後の予測では間違えたとしても、下村さんの経済理論の素晴らしさがそれで損なわれるものではありません」とし、現代的意義では、いまや下村の時代であるとこ高評価して話を終えている。
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