中野剛志「「新自由主義」という妖怪」(『WiLL』12月号)を読む

 以下、twitterでつぶやいたものを再録。

基本的に、中野剛志氏の新自由主義批判には見るべきものはないと考えている。彼が最近『WiLL』に書いた『「新自由主義」という妖怪』を読むと、すでに歴史の曲解レベルにまで達しているように思えてならない。まず彼は新自由主義レジームが「戦後レジーム」だという。ここからして理解できない。同じ論文中には、新自由主義の理論的な教義が新古典派経済学だとされている。もしそれならば、中野流の「戦後レジーム」とは、戦後、この新古典派経済学が覇権を握っていなければならない。日本の戦後の経済学をみるかぎり、新古典派経済学が理論的教義として支配的になったのは学会レベルでも近時だ。ましてや政策論争や政治的な場で、「戦後レジーム」というほど、中野流新自由主義(理論の核は新古典派経済学)がレジームを握ったという歴史的証拠はない。そもそも中野氏がこの論文で批判している「新自由主義者」たちの多くは1990年代以降である。さらに中野氏の「新自由主義」で描かれた「新古典派経済学」の像もかなり戯画化されている。「社会制度や規制の一切を白紙にして個人の自由な活動に任せれば、理想的な市場経済が実現されるというものであった」というものである。残念ながら、中野氏のいう「新古典派経済学」像は間違いだといっていい。新古典派経済学は社会制度(代表的には所有権制度)を前提にしているし、また規制をなくせば理想的な状態になるなどとも考えているわけはない(例:外部性の存在)。そもそも中野氏のいう「新古典派経済学」が中味が乏しくわからない。彼の論考で批判のやり玉にあげられている竹中平蔵氏の経済論が中野氏のいう「新古典派経済学」の代表なのだろうか? もしそうだとすれば、残念ながら、中野氏の批判は間違っている。なぜなら竹中氏は、産業政策の主張者として政府の「規制」(資源配分の政府の誘導)を説いているからだ。証拠は次に。
証拠)この竹中氏の本『闘う経済学』には彼の僕には理解できない「産業政策論」が展開されている。http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi20080825#p2
さて「戦後レジーム」が「新自由主義新古典派経済学が理論的コア」レジームなのだろうか? 中野氏の定義がはっきりしていないので正直意味がわからないのだが、少なくとも戦後(45年以降)の日本の経済政策において大きく影響を持った経済学は「ない」といっていい。経済学以前の反経済学が主流だ。むしろ「国際競争力」とか「産業政策」とか「国力」とかを背景にした反経済学的なものが、通産省(現在の経済産業省)などの官僚の経済思想の背景としてあった。
例えば、安井琢磨という偉大な経済学者がいた。彼の理論業績のほとんどが一般均衡理論とその動学化などが中心である。その点でいえば「市場原理主義」だ(正直、こんなすかすかの言葉で表現するのは間違いのもとだが)。安井の業績をみると戦後まもないころの配給制の論文でも「市場中心」だ。安井琢磨的なものが「戦後レジーム」の理論的な基礎だったのだろうか? 敗戦後、安井が行った経済論争がある。そのときの相手は杉本栄一だった。彼の本はいまでも入手がわりと簡単だ。一時代を画したベストセラーだからだ。対して安井のことはいまこの呟きを目にしている人でもほとんど知らないだろう。杉本の敗戦後の主張の核心部分を簡単にいうと「マルクス経済学と新古典派経済学の統一」だ。安井はそれに対して反駁したが、応援団はほとんどいなかった。他方で、杉本の「挑戦」を支援した経済学者・知識人は膨大だ。大河内一男中山伊知郎らはその戦後の経済政策に与えた影響からもキーパーソンだ。ちなみに安井琢磨氏以降に、新古典派経済学的な素養で、時の政策論争に挑んだ人は小宮隆太郎氏しかいない。しかも小宮氏の思想的なバックボーンは、外部性があるなら政府介入が望ましいとするものであり(それを日本で最も早く主張した人のひとり)、中野氏のいう「新古典派経済学」像とは大きく異なる。
参照:小宮隆太郎の60年代後半スウェーデン経済論
 http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi20070127#p2
小宮のスウェーデン論もそうだが、他方で彼の経済思想の源流をたどると興味深い、河合栄治郎木村健康小宮隆太郎だ。彼らは確かに「自由主義」だが、それは規制も一切ないほがいいとか、社会制度もないほうがいいとか、というものとはまったく無縁だ。小宮の経済論の特徴は、Francis Batorの外部性の議論(1958年)をいち早く日本の政策論争の中に持ち込んだことだろう。Batorの論文を読みたい人タイラー・コーエンの編著Public Goods and Market Failures:にも収録されてる。

 中野氏が「新自由主義レジーム」(理論的コアは新古典派経済学)こそが、「戦後レジーム」である、といったことを、小宮隆太郎氏の『日本の産業・貿易の経済分析』を利用して、それが誤りであることを以下に論じたい。
小宮はその本の中で日本の敗戦、高度成長、低成長の時代それぞれに産業政策論議で力をもった主流の意見を整理している。第一世代は、戦前・戦中派の経済学者の時代。有沢広巳、中山伊知郎らの時代。小宮はそこには欧米のミクロ・マクロの経済学の姿は痕跡もないと断言している。もちろん新古典派もだ。小宮は、中山や有澤、都留重人らの政策論は現実にも大きな影響を与えたと論じている。この点については、僕も『正論』で都留について書いたことがあるので参照されたい。小宮は、彼等の特徴は、1)政府の強いリーダーシップによる計画、民間指導、規制の強化、2)保護主義的、3)独占禁止法の無理解。高度成長期に、小宮はじめ米国で新古典派経済学の基礎教養をみにつてか一群の経済学者・エコノミストが政策論議に加わりだす。彼らの基本教義は、自由で競争的な市場が資源配分の最適化をもたらす+市場の失敗があれば政府介入の可能性もある、といういまの経済学の教科書にあるものと同じだ。この小宮ら第二世代の経済学者たちは、中山・都留。有澤らの第一世代と高度成長期に激しく対立した。ただし小宮も指摘しているが、実際の政府の各種審議会、調査会での中心は第一世代であった。つまり高度成長期の主要官庁で大きな影響力を発揮していたのは、第一世代=非・新古典派経済学であった。ただ政府・官庁と第二世代(新古典派経済学系)が距離が遠くても、小宮が指摘するように、弱体であった公正取引委員会を彼らは外部から熱烈に応援した。その主要論争の舞台は、八幡・富士両製鉄の合併だった。第一世代は独占禁止に理解が乏しく合併支援し、反対派の第二世代と猛烈にやりあった。低成長期になると第三世代が出現した。小宮の整理だと、第三世代は、1)分析ツールが多様、2)市場の失敗のケースが第二世代よりも多様。ところで小宮氏は、この世代展望で、実際には、第一世代とその後裔による産業政策もたいして大きく日本の経済成長に貢献してこなかったとする。もちろん第一世代とは立場の異なる第二世代の新古典派(中野氏の市場の失敗なき新古典派の戯画とは異なることに注意)が政治から距離をおいていたとするならなおさら新古典派もまた政策ルートで日本経済に影響を与えなかった。また独占禁止法自身も効力がなかった、というのが小宮のまとめ。最後に、この小宮論文を資本自由化や「過当競争」論争などに応用して、高度成長期の日本の経済学(ただし第一世代の非経済学も含む)と政策、実態との関係をみたのが、『日本の経済学と経済学者』の中野口旭論説「対外自由化と『産業構造政策」」。時間があればぜひ読んでほしい。