上念司『悪中論』

 『悪中論』という題名からだと極端な内容かと思ったらそれは大間違いである。いまの中国の経済と政治との関係をさまざまなデータやソースから明らかにした良書である。

 本書で僕が特に注目した諸点は以下である。

1.中国の「ルイスの転換点」問題の解決のむずかしさの指摘

 ポール・クルーグマン初め多くの経済学者が指摘しているように、中国経済は農村からの余剰人口を活用して経済成長をとげたが、農村からの余剰人口の移動の急減(その裏面での実質賃金の上昇傾向)により、その成長の転換点(=ルイスの転換点)が近い。上念さんもこの視点に立脚して、中国の根拠なき「成長神話」的な言説を批判的に検証している。特に中国の一党独裁制という政治がネックになることでもルイス転換点後の構造改革の困難を指摘している。

2.長期的な財政政策依存経済が、地方などで腐敗と非効率の元凶になっていること

 1の問題を解決できない、つまり構造改革が困難であることに関連しているが、構造的な問題に取り組まなくてはいけないのに、一部の既得権階層(特に地方政府の生み出した中国版官民ファンドなど)に利益が発生するような財政・金融政策の発動で、国民の生活を損なっていると上念さんは指摘している。これは構造問題を放置して、他方で(為替操作や地方財政政策などで)特定資産のインフレやインフレによって、国民から一部の特権層に利益の再分配をしているものだと考えられよう。

3.中国の秩序と騒乱の定型パターン

 2のような政治と癒着した一部の特権階級が蓄財し(また同時に膨大な金額を国外に流出させ)、民衆の生活を困難にさせることで、デモや反乱が頻発していく社会が誕生し、やがて秩序から騒乱、社会の不安定化に移行していく、という中国社会の歴代王朝などで繰り返しみられた典型的パターンを今回も踏んでいる、と上念さんは指摘している。この指摘は重要で、たとえば『歴史評論』2007年1月号では、「中国社会における秩序と暴力」と題して清末から文革期までのこの定型パターンの実証が多くの研究者によって行われている。そのような研究成果と上念さんのするどい観察は連動して理解を深めることに役立つだろう。
 私見では、中国の国家制度は、この暴力と秩序を小刻みにくりかえしながら、ぐだぐだになって周辺国などにも影響を与えて長い期間続くのではないだろうか? すぐの社会制度の大崩壊ではなく、周辺地域・周辺国をまきこんだ「迷惑」期間が長期に続くのではないか。

4.中国リスクに対する「静謐に保つ」方策とリスクへの保険提唱。

 さてこのような秩序と暴力の定型パターンを繰り返す、迷惑な中国にどう対処すべきか? 基本原則は、「静謐に保つ」ことである、と上念さんは指摘する。簡単にいうと、中国の挑発にも暴力にも巻き込まれるな。また不可抗力的に巻き込まれたときのリスクへの保険も考えよ、というのが本書の立場だ。本書では当然まだふれられていないが、中国の防空識別圏の設定が話題になっている今日、上念さんの本はこの「静謐に保つ」という基本原則からこの問題をみることも可能にしている。「ノータッチのタッチ」。つまりむこうがこの問題で「交渉」を求めてきても無視せよ、だ。

 本書は中国の経済と政治についての刺激的だが、理知的な示唆を多く与えてくれるだろう。

悪中論 ~中国がいなくても、世界経済はまわる

悪中論 ~中国がいなくても、世界経済はまわる