まさか出るとは思わなかったアカロフらの野心的な著作である。なぜ野心的か。それはいままでの経済学は「自分がなんであるのか」というアイデンティティについて(例外はあるものの)最近までほとんどまともに考究していなかったからだ。
まず本書でいうアイデンティティは社会的な文脈で理解されているものだ。例えばアイデンティティは、自らがどんな社会カテゴリーにあてはまるか、という形で人の行動動機に影響を与える。なぜなら社会カテゴリーが違うと、それに伴う行動動機に違いが生じるからだ。この違いは、主にその社会カテゴリーによる「規範」や「理想」によってもたらされる。
アカロフらは、「行動が規範や理想と合致したときの利得、あるいは合致しないときの損失を表す「アイデンティティ効用」という概念を持ち出し、それを通常の効用と区別する。そしてアイデンティティ効用には、外部性が含まれる可能性を示唆している。例えば他人が「おまえはオタクだ」と批判的にいった場合、その人はその発言によってアイデンティティ効用において損失が発生するかもしれない。また規範を通じて個別的な嗜好(性別による喫煙の嗜好など)も変化し、内面化されていく可能性がある。
人はアイデンティティを選択できる場合もあれば、またまったくそういう選択の機会に気が付かない場合もある。また社会的な構造がアイデンティティの選択の幅を制約している場合もある(年齢、性別、民族など)。またアイデンティティの選択は個人の選択だけではなく、むしろ社会からの相互関係の中で選ばれることに注目すれば、アイデンティティと規範は相互作用を及ぼしあうかもしれない。例えばある人物がそれまでの規範を逸脱する行為をした場合に、規範自体が変化することもある。
「アイデンティティ経済学では、人々が規範に従うのは、たいがいの場合、そうしたいからだと想定する。彼らは規範を内面化してそれに服従する」49頁。
本書の第一部の最終章(第4章)の最後部はいささか性急すぎる。そこでは経済学の規範の位置(繰り返しゲームの中での規範理論、シグナリングモデルとしての規範、「社会のセメント」としての規範など)を足早に説明している。アカロフは規範自体がどこからくるのか、という観点で、経済学にあらたな要素を導入している。米国の陸軍士官候補生は、倫理規定を、規範を信じている(信念をもっている)ことによって、それは規範になるし、それがない場合には規範は崩壊するという。これがアカロフたちの立場であり、ヤン・エルスターの「社会のセメント」論と類似しているという。便宜的にここではアカロフの規範ー信念理論としよう。
第二部はこのアイデンティティの経済学を四つの分野に応用して得た知見が紹介されている。以下、明日のエントリーに続く
- 作者: ジョージ・A・アカロフ、レイチェル・E・クラントン,山形浩生、守岡桜
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2011/07/21
- メディア: 単行本
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