平野啓一郎『私とは何か』

 何気なく手にとったが、ここ数年ずっと考えているテーマ(アイデンティティの複数性と社会的な政策との関係)に近似したものが読めて、とても参考になった。

 個人から分人へ という著者のテーマは、僕流に解釈すると、アイデンティティの単数性からアイデンティティの複数性へ、ということだと思う。

 著者の面白い点は、この分人主義をさまざまな側面から、平易で明瞭な事例を重ねて記述していることだ。あっというまに読めるが、それでもその深度は測りがたいものもある。例えば、さらっと分人主義が、サンデル的な共同体主義への批判の基礎になるとも示唆していたり(これはアイデンティティの複数性を唱えたアマルティア・センと同じ)、または社交の在り方によって人の個性が決まると述べる箇所などは刺激的だ。

「誰とどうつきあっているかで、あなたの中の分人の構成比率は変化する。その総体が、あなたの個性となる。10年前のあなたと、今のあなたが違うとすれば、それは、つきあう人が変わり、読む本や住む場所が変わり、分人の構成比率が変化したからである」。

 また一見すると神秘的な思索にもつながっていく。例えば死後もあなたの分人は、生きている人の中の分人にはいりこんで生き続けているなど。わたしたち生きているものの新しい解釈などで、死んだものの記憶が再生し、その人の分人の中で生き生きと生命を保つ。ここに著者は宗教的なものの由来も見出しているかのようだ。

 ここで著者は、経済学者(ミュルダールの娘のシセラ・ボクなど)のいうところの「共通価値」(=各社会で共通するミニマムな価値)と各社会や文化で異なる「マクシマリズム的価値」なものとの区分を、平野氏は彼なりの言葉できちんと理解していることだ。これも僕には非常に見通しがいい議論だった。

「つまり、一人の人間が抱えている複数の分人は、積極的に混ざり合っている方がいいのか、それとも、きっぱりと分れている方がいいのか、という問題だ。(略)分人の構成は、異なる形の積木が重ねられているように、それぞれがまじりあっていく部分もある。その混ざり合った部分が、個性なのか、それとも、他とは完全に切り離された部分が個性の中心的な位置を占めていくのか」

この他の人の分人と自分の分人が「まじりあっていく部分」(=僕たちの言葉では共通価値)と「他とは完全に切り離された部分」(こちらはマクシマリズム的価値―共通価値)とにわかれている、という認識は賛同しておきたい。先ほどのシセラ・ボクだけではなく、高田保馬の『世界社会論』での議論、またタイラー・コーエンが『創造的破壊』で述べたテーゼにも、そして小松左京村上春樹川端康成らの作品世界にも関連していくだろう。

 さて先ほど述べたように、この分人主義(より一般的にいえば、アイデンティティの複数性)は、サンデル的な共同体主義を一線を画している。なぜなら平野氏が書いているように、「もし一人の人間が、文化不可能であるなら、帰属できるコミュニティは一つだけとなる。それが彼のアイデンティティだ。しかし、私たちは同時に、たった一つのコミュニティに拘束されることを不自由に感じる。(略)今日、コミュニティの問題で重要なのは、複数のコミュニティへの多重参加である。そして、それを可能とするためには、分人という単位を導入するしかない。一人の同じ人間が、まったく思想的立場の異なるコミュニティに参加しているとする。個人として考えるなら、それはまったく矛盾であり、裏切りだ。首尾一貫していない、コウモリのような人間だとみなされるだろう。しかし、分人の観点からは、これが可能となる。それぞれのコミュニティには、異なる分人で参加しているからだ。そして、むしろまったく矛盾するコミュニティに参加すうることこそが、今日では重要なのだ」(172頁)。

 分人主義は、西欧で生み出された個人主義や(その理念的な裏返しの)共同体主義と、対立する人間の見方だろう。アイデンティティの複数性(分人主義)が具体的にどう社会とかかわるか、その政策的ともいえるテーマに僕は魅かれている。

関連するエントリーもぜひ読んでいただきたい。

アイデンティティの複数性についてはまずこの本を読むのが基本。
アマルティア・セン『アイデンティティと暴力』
アイデンティティの複数性をゲーム論的な応用で、労働や社会的排除の問題に応用したもの
『アイデンティティの経済学』を読む

一人称と三人称の問題もまさにアイデンティティの単数性と複数性との関連を描いたもの。
村上春樹と物語の経済学

シセラ・ボクの「共通価値」の議論についてはこの対談の後半を参照
福祉世界という希望:藤田菜々子氏との対談

なお分人主義における生と死の境目の溶解ともいえる観点は、福田和也氏の『病気と日本文学』川端康成を論じた箇所が参考になる。

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

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共通価値―文明の衝突を超えて (叢書・ウニベルシタス)

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