反主流の経済学

 26日の藤田さんのミュルダール研究についての会合でコメントするのでこれから数日は、その関連エントリーで。基本的に藤田さんの本と僕らの監修・訳したバーバーの『グンナー・ミュルダール』(これためになる本なのでぜひ一読を)についてのダブルでコメントの予定。

 ところで藤田さんの業績で、根井雅弘編著『わかる現代経済学』に収録された「反主流の経済学」という一文がある。この本がでたときは、こんなおちゃらけエントリーを書いていたが(笑)、ちょっといまは藤田さんのところだけ真剣読み。

 この「反主流の経済学」とは新古典派経済学に代表される主流経済学を批判する(といっても僕の私見だと日本では主流経済学が傍流で、反主流といわれるのが主流だけどね、あーしんど)異端の制度派経済学に対象を絞っている。

 まずアメリカ制度学派の伝統として、ヴェブレン。主流派が人間の選択と行動を「単一の選好順序」によって決定していることに批判を加えた。いわゆる「顕示消費」などで。藤田論文では、特にヴェブレンの「経済学はなぜ進化論的科学ではないのか」(1898年)を紹介し、人間は功利主義的な苦楽の計算機ではなく、社会は無目的な終わりなき変化の過程が続くものとしてとらえた。

「彼(=ヴェブレン)は、個々人の思考様式と社会構造とのあいだには相互依存的な変化過程があると見た。両者の媒体となるのが、「支配的な思考習慣」としての「制度」である」(188頁)。

 ヴェブレンの図式
 制度⇔人間

有閑階級の理論―制度の進化に関する経済学的研究 (ちくま学芸文庫)

有閑階級の理論―制度の進化に関する経済学的研究 (ちくま学芸文庫)

 次はミュルダール。彼の代表的なキャリアはいまのインタゲの起源ともいえる貨幣的要因と実物的要因における期待の重要性を導入したこと。しかし後に自らを「制度派経済学者」と規定した。彼は『アメリカのジレンマ』での黒人問題を検証する段階で、純粋な経済問題などなく、経済的要因と非経済的要因が複雑にからんでいることを示した。

「また、彼は研究当初から、経済分析における価値判断の役割について考えていた。経済学はどこまで客観的かつ実践的でありうるか。こうした事実認識と価値判断、あるいは、科学と術の問題は、昔から問い続けられてきたわけであるが、ミュルダールは、両者は相互に浸透しあっており、区別することはできないという立場に至った。結果、彼が採用したのは、価値前提(論理的前提としての価値判断)をできる限り明示するという方法論であった」(191頁)。

ところでミュルダールの最高の価値前提というのは「平等」。他方で、「累積的因果関係論」という理論の中で、貧困の罠を研究した。この貧困の罠を脱出するために、土地制度や教育制度の平等主義的改革を提言した。制度によって非合理性が生みだされ、それが貧困の罠を生んだからでる。他方で先進国、特に福祉国家については、「福祉国家国民主義的限界」を指摘し、福祉世界論を主張した。

グンナー・ミュルダール ある知識人の生涯 (経済学の偉大な思想家たち)

グンナー・ミュルダール ある知識人の生涯 (経済学の偉大な思想家たち)

 制度派経済学としてはガルブレイスが次にふれられているが、彼の業績の拮抗力については、このエントリーでふれたので参照してほしい。また『ゆたかな社会』における「依存効果」(例:広告による消費選択のバイアス)は、今日の東電問題とからめてこのエントリーでふれたのでこれもここでは省略する。

藤田さんはこのミュルダールとガルブレイスの相違についてふたつのポイントを指摘している。
1)ガルブレイスの方が技術主義的な側面でヴェブレンの後継、ミュルダールは技術主義に懐疑的でスタンスは市民の民主的活動に軸足、2)ガルブレイスは『新しい産業国家』のテクノストラクチャー論のように国家の役割に次第に批判的、ミュルダールは好意的かつ楽観的。

 ここまでは古い制度派経済学。これからは異端の現代制度派経済学の紹介。

 ホジソンの『現代制度派経済学宣言』(1988)に注目。

 ホジソンは、非合理的行動への注目(限定的合理性ではない)。制度と主体のヴェブレン的な相互依存関係の指摘。ホジソンのオリジナルは以下の発想。

「それは「混成原理」ないし「非純粋性原理」と呼ばれる考えである。すなわち、社会経済システムが機能しうるためには不純物(構造的に異なるサブシステム)が必要であるという命題の広範な妥当性を認めるということである」(200頁)。

 混成原理は不純物をシステムの動態的局面で重視するので、例えば純粋な資本主義はありえない。資本主義は累積的に不純物を堆積し、異なるものとして多様化していく。グローバル化も資本主義を収斂させるのではなく、多様化させていく。ここらへんはコーエンの『創造的破壊』の論点ともろにつながる。ただし僕はここのホジソンの説明だとどんどん発散してしまい、資本主義とは名ばかりのまったく違うものになってしまうのではないか? 素朴な観察では、どの国もだいたい似てきてて、それでもちょっと違うところもある、という形だ。純粋と不純がお互いに制御しあって、その制御力の大小によって資本主義の多様性が生まれてきているようにも思える。そういう論点をおそらく織り込み済みではないかと思うがホジソンの本はかなり前に読んだきりで忘れた。

経済学とユートピア―社会経済システムの制度主義分析 (MINERVA人文・社会科学叢書)

経済学とユートピア―社会経済システムの制度主義分析 (MINERVA人文・社会科学叢書)

 次はレギュラシオン理論。制度が経済社会をレギュレーション(規制)する。

「このフォーディズムという概念と共に、レギュラシオン理論は普及したといえる。……つまり、フォーディズムとは、マクロレベルでの大量生産・大量消費による高成長体制の成立を意味する。そして、この高成長の回路を支えたのが諸制度であったと主張するところにレギュラシオン理論の独自性がある。とりわけ重要視されるのが、「生産性インデックス賃金」と「テーラー主義の受容」という労使妥協の成立(賃労働関係)である」(204-5頁)。

 生産性インデックス賃金とは、生産性上昇⇔賃金上昇
 テーラー主義とは、単純労働の繰り返し、構想と実行の分離による生産効率重視の労働編成

 フォーディズムの成功→大量消費社会→消費者の水準上昇(嗜好の多様化)→多品種生産→既存の労使関係の悪化→70年代の経済停滞
 
 しかしこのようなフォーディズム論は各国の成長体制を画一化してとらえてしまっていた。

勤労者社会の転換―フォーディズムから勤労者民主制へ

勤労者社会の転換―フォーディズムから勤労者民主制へ

 資本主義の多様性論の登場。Varieties of Capitalism(VOCアプローチ)。……比較制度優位という概念で多様性を説明。当該国の制度条件が比較優位をもつ財を決定するという。

 アマブールの『五つの資本主義』論。制度補完性への注目。

 ただし僕はこのVOCアプローチもアマブールの発言も、それで? というレベルにしか思えない。例えばアマブールのように市場ベース型、アジア型、大陸欧州型、社会民主主義型、地中海型、に資本主義を分類してもそれで? としか少なくとも藤田さんの解説を読むと思える。まあ、アマブールもVOCも原典読んでないのであれなんだけど。

わかる現代経済学 (朝日新書 87)

わかる現代経済学 (朝日新書 87)