藤田菜々子『ミュルダールの経済学』第2章ー第4章、最終章を再読

 本書はミュルダールの経済学の全貌を、「価値前提明示」の方法論と累積的因果関係の理論のふたつの視座からとらえたもの。世界的にみてもミュルダール研究としては、ウィリアム・バーバー『グンナー・ミュルダール』(2008、邦訳2011、勁草書房)を例外にしてほとんど例をみない業績である。

 評者に与えられたのは、本書の第2章から第4章までと最終章についてのコメントである。

第2章の要点
 なぜ「価値前提の明示」が必要なのか? 

 ミュルダールの方法論:局面Ⅰ 『経済学説と政治的要素』

 価値判断と事実認識(信念)は分離できる。
 自然法功利主義の影響にある現在の経済学はこの分離を成し遂げていない

 ミュルダールの方法論:局面Ⅱ 『アメリカのジレンマ』の付録二以降

 価値判断と事実認識(信念)は分離できない。事実認識にも「価値判断が前提」(=価値前提)であることが必要。

「事実認識と価値判断は何をもってしても切り離すことはできない。事実認識が価値判断に影響を与えるのみならず、逆もまた成り立つのである。後年、彼は事実を観察する段階ですでに含まれる価値判断には主に三つの要因が関係すると指摘した。第一に自然法功利主義に基づく経済学における伝統的思考法、第二に利害や偏見といった社会的・政治的環境、第三に研究者の個性である」(80頁)。

 価値判断はバイアスの源泉ではなく、もっぱら事実認識の方向や性格を規定する。また事実認識自体も価値判断に影響を与える。
 バイアスを回避するためには価値判断(価値前提)は、適切性ないし関連性、重要性、実現可能性、論理的整合性、という選択基準を満たす必要がある。

 このためミュルダールの採用した方法論は、できるだけ価値判断(価値評価)を明確化、明示化して理論(=事実認識)の方向を決定していることを認めること<「価値前提の明示」の方法論>

 またミュルダールは価値判断の階層構造を指摘する。「高次」の価値判断を価値前提にすえることと「低次」に価値判断を価値前提にすえることはまったく異なる。

 「低次」の価値判断(価値前提)はバイアスを伴い、低次の諸価値判断は抗争する可能性が大きい。……利害対立、調整の必要。
 対して、「高次」の価値判断(価値前提)は、低次の価値判断の利害対立を調整する。ミュルダールは不変かつ普遍の価値判断として「平等」をあげる。

 藤田のミュルダール批判:「平等」は何の平等か。「平等」も何の平等かが明示されたときは、利害対立を生じる諸価値判断ではないか? ミュルダールの平等論の具体性の欠如、「準備不足」(86頁)。また「平等」の選択主体が不明か、もしくは選択主体が「国家」であってもその「国家」が「平等」」という価値判断を低下させる可能性を考慮していない(国家介入に楽観的)等。

 ミュルダールの「価値前提」とウェーバーの「価値関係」の相違

 ウェーバー:「価値関係」は個々人の有する文化価値によって選択され、多様な「価値関係」が存在。対立も一致も文化価値の範囲によって生じるが、仮に対立が生じてもそれの解決は図られるべき問題ではない。

 ミュルダール:「価値前提」の選択は、意識的に諸価値判断間の収束、対立解消を求めている→実行可能な政策を導出するには、一組の「価値前提」でなければならない → 具体例としての累積的因果関係論

第3章の要点
 『アメリカのジレンマ』(累積の原理)、『経済理論と低開発地域』(循環的および累積的因果関係)などのミュルダールの累積的因果関係論の発展を追いながら、同時に前章での方法論的枠組みとの関係も明示する。

 安定均衡への批判→(1)安定均衡という概念は「価値前提の明示化」という方法論的要求を満たしていない。(2)時間に伴う経済変化の累積性を含んだ現実的な経済動態過程を説明していない。

 累積的因果関係論の初期タイプ「累積の原理」(『アメリカのジレンマ』)と「循環的および累積的因果関係」との違いは主に理論の洗練化としておさえられる(詳細は、106-110頁参照あるいは102-3頁と110-111頁の要約の比較参照)。

 基本命題 <基本認識について>たいていの場合、構成要因は相互連関しており、ある要因の変化は他に同方向の影響を与え、累積し、持続する。結果として、変化は時間がたつにつれて増大し、初期的には均衡状態であってもそこから乖離が進む(ただしゴチックにしたのは田中)。

 ●逆流効果:「広い意味での外部不経済」→格差拡大あるいは「ある国が貿易で成功するとその影響を受けて他のある国では損失が出るような効果」(106頁)。
 ●波及効果:「広い意味での外部経済」→「格差縮小あるいは双方の地域の全般的発展」(107頁)。

 逆流効果と波及効果のふたつの効果(力の作用)のバランスでミュルダールは基本命題とその修正を考える。

 逆流効果>波及効果→「好循環」(先進諸国=福祉国家)、「悪循環」(低開発諸国=軟性国家)

 波及効果=逆流効果→不安定均衡

 逆流効果<波及効果→基本命題に反する命題

政策的には、常に逆流効果>波及効果なので平等主義的な政府介入が必要。また基本命題の下線にあるように、基本命題を構成する要因は相互に関連しており、特に「経済的要因」と「経済外的要因」を区別する意味がない。例えば、逆流効果>波及効果をもたらすのは制度(土地制度、教育制度、政治制度など)。制度が悪循環、好循環をもたらす。制度改革が経済発展を可能にする。→福祉国家から福祉世界へ

価値前提と事実認識(→累積的因果理論)とは相互依存的。
「価値前提は研究対象となる社会の問題意識や価値判断を反映する。したがって、累積的因果関係の理論はその社会において関心がもたれ、科学的知識が希求されているような実践的問題に関して構成される理論ということになる。また逆に、累積的因果関係論によって得られる知識が大衆に受け入れられ普及することは、彼らの事実認識を新たなものとする。それは啓蒙・知的浄化や新政策導入を通じて価値判断に影響を与えるということ、つまりは実践的諸問題の解決に向けて社会を変革するという意味をもつことになる」(116頁)。
人々が「平等」という価値前提を明示する。それは「理想」(貨幣理論段階での「予想」を拡充したもの)が、累積的因果関係のあるパターン(逆流効果>波及効果)の状態を否認することであり、この否認ゆえに平等主義的政策介入が要請される。平等主義的な改革が行われ成功すれば、逆流効果<波及効果が生じる。これはさらに「平等」という「理想」を推進する。⇒価値前提(平等)と事実認識(波及効果の拡大)の相互依存関係自体も累積的な因果関係を形成しているといえる?。

第4章の要点
 CC論(累積的因果関係論)の系譜。
(1) 経済成長:ヤング・カルドア型
(2) 制度変化:ヴェブレン
(3) 物価変動:ストックホルム学派

 ミュルダールの位置は、ストックホルム学派の物価変動理論の流れである(3)から始まるが、『アメリカのジレンマ』の段階で「問題関心・分析対象が異なる別物」になる。(1)と(2)の「中間的位置」(137頁)。独自の「制度派経済学者」。
 
 ミュルダールは「経済成長」ではなく、「全社会システムの上方への変位」という意味での「発展」の理論。しかも制度的な要因によって「発展」も「衰退」もする。→独特の「進化経済学」(258頁)。

終章の要点
 ミュルダールの現代的意義とは?

「平等」という最高位の価値前提を明示したうえでの、格差縮小の全世界的な介入を行う福祉世界論の展望。

論点
 ミュルダールの現代的意義はなんなのか、実はよくわからなかった。例えば、「平等」という高次の価値判断が普遍かつ不変とすることへの疑問を著者は提示してはいるが、他方でその価値判断に依拠している福祉世界論の意義を積極的に称揚している。またミュルダールの主張するように、(A)「価値前提の明示」という方法論と(B)福祉世界論(世界規模での格差縮小のための平等主義的制度改革、累積的因果関係論)が密接に相互依存しているとするアプローチ自体には著者は疑問を提示してはいない。ならば、問題は「平等」という「高次」の価値判断に代わるなんらかの「価値前提の明示」が、福祉世界論の今日的意義を考えるときに重要ではないか?。

1.価値前提の階層構造はそのままで、「平等」に代わる新しい理念が代わるのか?
2. 価値前提の階層構造そのものを否定するのか。→価値前提の多元化

山田雄三『価値多元時代と経済学』(1994、岩波書店)の参照。

「(略)ミュルダールでは長期的視点からかなり高次な価値理念がとりあげられ、そのような価値前提がその実現を妨げるところの現実の諸力とどのように戦うべきかを論ずる。これは脱イデオロギー的政策論に道を開くものとしてよい。しかしそこでは価値理念として例えば人種平等と現実の人種差別の傾向との葛藤を考えるが、価値と価値との対立としては考えず、そういう点では価値前提としての理念を一元的にとらえる懸念がある」(山田(1994)115頁)。

 著者自体は、価値の多元化(あるいは「多様化」)を示唆しているともとれる発言があるがよくわからない(現代的批判として、各社会がそれぞれの政治過程を通じて多様な「平等」を選びとる自由を示唆するのみ)。

 価値の多元化(→アマルティア・セン流にいえば「アイデンティティの多様性」、田中「物語の多様性」)についての山田の発言。

「第二に価値理念を前提するとしても、価値はもともと多元的であるから、そこから主要なものを一つ取り上げるのではなく、価値の幾組みかの対立関係を明らかにする見方がある。ここでも脱イデオロギーの立場からは正当化を論じるのではない。例えば自由と制限、革新と保守、資本主義と社会主義などが問題になるとしても、それらのいずれが正しいかを裁くのは価値多元の立場と相容れない」(山田(1994)116頁)。

 また福祉世界を政策実施する主体がミュルダールと同じく不明ではないか。 
 また福祉世界を選択し、それを政策実施する主体(世界的機関? 世界国家?)が存在するとして、それがある種の価値判断を損なう可能性(=政策の失敗とそれによる価値判断の低下)も考慮にいれるべきではないか?

参照
田中秀臣(2011)「物語というメビウスの輪」(巽孝之笠井潔編『3.11の未来』作品社、所収)。
物語の経済学の手書きレジュメ(2011年7月16日、現代経済思想研究会で配布したもの)http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20110718#p4
(書評)アマルティア・センアイデンティティと暴力』http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20110721#p2
(書評)玄田有史『希望のつくり方』http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20110821#p4

ミュルダールの経済学―福祉国家から福祉世界へ

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