東谷暁を格付けする。〇点。

 東谷暁エコノミストを格付けする』(文藝新書)について

 東谷暁自身への格付けは、読者任せでいいということなので、評価を下す。零点。レイテンと読む。これが正しい答えであると思う。理由もあえて書かなくてもいいのだが、まず東谷の議論が公平ではないと思うからだ。彼のエコノミスト採点は、一見すると「公平」ぽいつくりであるが、中味は正直にいえばいったい何を論評したいのか意味がとれないものが多い。

 彼の評価の基準は、「「一貫性}=時間を隔てても一貫性のある議論をしているか、「論理性」=その時々の論文あるいは発言のなかで論理性は保たれているか、「データ生」=議論のさいに根拠を提示しているか、「予測力」=提示した予想は当たっているのか、「文章力」=論じるさいの説得力はあったか」であり、それぞれ20点配分で満点が100点である。

 まず東谷がエコノミストたちの格付けができるほどの経済学への理解のレベルに欠けることを問題視しなければいけない。評価するものが、評価するもの主張を(満点は要求しないがそこそこ)理解していないでは、その格付け自体不適切である。そして僕はその点で不適切であると思ったので不合格点、不合格点が何点からなのか知らないので、ここはわかりやすく〇点を差し上げる。

エコノミストを格付けする (文春新書)

エコノミストを格付けする (文春新書)

 このブログの読者ならば、田中はここでリフレ派(本書ではなぜかリフレ政策ではなくそれをインフレターゲット政策にわざわざ限定しているようだが)への評価を持ち出すだろう、と思うだろう。だがそれではあまりにもつまらない。クルーグマンが転向したとする解釈、いまのアメリカの政策を「ふつうの金融政策」をとっているという評価など東谷の分析が事実に裏付けられたものでもなく、また論者の発言の表層的な一貫性と論理性しかみていないことをまたもやここで書くのは、このブログの読者にすでに読み飽きただろう。

 ここではこのリフレ派周辺の話題ではなく、東谷の採点がいかにエコノミストの一貫性と論理性の表層しかみていないか、を「リフレ派」以外のケースでとりあげてみたい。僕が東谷の評価で、「ああ、この人なにも理解してないんだ」と思ったのが、例えば大竹文雄氏への評価だ。

 東谷の大竹評価を以下に全文引用する。

大竹文雄氏 大竹氏が日本の所得格差論争の中心的人物であったことは知られているし、また、本書でも取り上げた。しかし、大竹氏は同時に解雇制度の緩和論でも論争の中心的な役割を果たしていることは、一般にはあまり知られていない。大竹市は、福井秀夫氏との編著『脱格差社会と雇用法制」(日本評論社)に収められた奥平寛子氏との共同論文「解雇規制は雇用機会を減らし格差を拡大させる」で、不況期の規制強化が雇用を減らすのみならず、好況期に作られた解雇規制も、将来を予測する<企業行動の変化を通じて>雇用を減らすと論じた。ところが、大竹氏は、今回の世界同時不況は新古典派経済学では説明できないとして、小野善康氏の不況理論への関心を深めているという(『週刊東洋経済』2009年3月21号)。各論が新古典派で総論が小野氏の「不況の経済学」でもかまわないのかもしれないが、このふたつのアプローチの政策提言は大きく異なるはずである」

 さてこの東谷の大竹氏への評価で問題にしなくてはいけないのが大竹氏が小野理論に関心を深めていることを問題視していることだ。僕は東谷解釈とは違い、大竹氏が従来のご自身の見解の延長上と加えて世界同時不況というケースを前提にして、小野理論に関心を高めるのは十分理解できることだと思っている*1

 小野理論のテキストとして『不況のメカニズム』を参照しよう。そこで特徴的なのは、政策提言として「自律的回復のための景気政策」を全否定していることだ。小野氏はこう書いている。

 「これまでの議論からもわかるように、景気対策とは、余った労働資源を活用して経済全体の効率の改善を目指すものであり、景気の自律回復を促すためでもなければ、貧困層救済などの再分配を目的とした社会政策でもない。一度景気が悪化すれば、本格的な景気回復には世代交代などによって経済への確信が回復するまでの長い期間が必要であり、その間、景気対策を行っても景気の回復効果はほとんどないし、あっても一時的でしかない。それでも労働資源が使われずに放置されれば無駄が積み重なり、少しでも役立つことに使えば経済全体の効率はよくなる。景気対策はそのためにこそ必要なのである。したがって、非自発的失業がある場合には、効率化か財政出動かという対立軸の設定は誤りであり、財政出動こそが効率化なのである」(198ページ)。

 通常のマクロ政策の理解は自律的回復のための景気対策」である。しかしここでは小野氏はそのようなマクロ政策は否定し、財政出動を少しでも効率化をもたらすことである、と言い切っている。

 ところで大竹氏の解雇制度の緩和論のベースも、好況・不況によらずそのような解雇制度の緩和が、経済の効率性を高める、というものだった。経済の効率性を高めれば不況でも雇用が回復するという議論である。

 大竹も小野も通常のマクロ政策論である「自律的回復のための景気対策」ではなく、経済の効率性を高める政策を重視していることでは共通している。しかし東谷はこの両者の無視できない理論的な立場に無頓着である。彼がみているのはおそらく表層的な政策のオプションの違いでしかない。

 確かに小野氏は大竹氏のように解雇規制の緩和を不況期の対策として持ち出してはいない。しかしそうだからといって、大竹氏が小野理論を総論として、自らの従来の主張を各論としているとして、それが矛盾であるかのような評価を、東谷が下すのは明らかにおかしい。

 僕からみると彼らの主張は一定条件のもとでは整合的であるからだ。その一定条件のひとつがいま書いた、不況期の対策のベースとして経済の効率性を高め、他方で従来のマクロ政策に否定的なスタンスである。

 もうひとつの一定条件がある。これも東谷は見落としている。これは「世界同時不況」を、大竹氏がどのような現象としてみているか、にかかわる。

 それと関連するが、従来の「新古典派経済学」(むしろここは動学的一般均衡論Dynamic stochastic general equilibrium modelとした方がいいだろう)ではなぜ「世界同時不況」の説明に限界があると思っているのか。これらの点を東谷は理解できていない。

 これについて書いてもいいのだが、もう上の話だけでも十分に東谷本がレイテンであることの理由の一端は書いた。例えばロバート・ゴードンの論文を参照すればDSGEモデルのどこが今回の世界同時不況の説明として限界があるか示唆されているだろう。もっとも大竹氏が1978マクロの重要性を説いたらそれこそ矛盾なのはいうまでもなく、むしろ大竹氏が小野理論への関心を深めている方向は、ゴードンの方向とは反対向きであろう。

 さて個人的には東谷本は不合格の格付け本なので、これ以上時間を割く必要もないと思っている。

 しかし人はそれぞれであろう。何か経済学者やエコノミストへの不満や懐疑をもつという社会的な感情も理解できないではない。しかしだからといってその社会的な感情を共有して、表層的なエコノミスト批判を踊るつもりはまったくないのだ。

(補)あと東谷のエコノミストの選出もなんか古臭い。今年のトレンド(笑)といえば、浜矩子、hamachan、中野剛志、そしてなんといっても飯田泰之だろう。論壇の最新の流れにも疎いように思える。センスないなあ。あと松原隆一郎氏への格付けがなぜないのか、不思議である。松原氏の最近の活躍(長いスパンでも)からすれば当然に格付けされるべきだろう。白井や菊池、小川各氏らよりも一般的にもよく知られているだろうに。ここらへんも奇妙な感じがするのだが、印象的には松原氏と東谷氏はしばしばエコノミスト批判などで共通の活動をしているようでそれで省略したのだろうか? それもこの格付けの公平性に疑念を提供するように、少なくとも私は思うのだが。

*1:大竹氏の立場としてはわかるが、別にそれを僕は支持していないことも書くまでもないが、誤解するといけないので注記しておく