新訳:カール・ポランニー『大転換』

 本屋の店頭に並んでた。ちょっと前にid:hicksianさんからの情報で、訳者である野口建彦氏が、スティグリッツが『大転換』に寄せた序文を訳出していることを知った。

「ポラニーの知的遺産と二人のノ−ベル経済学賞受賞者のポラニ−評価」
http://www.eco.nihon-u.ac.jp/assets/files/06-01noguchi_wp.pdf(このファイルの後半にスティグリッツの序文の和訳あり)


 野口氏は以下のようにスティグリッツのポランニー解釈を整理している。

新古典派経済学の理論的支柱をなす自己調整的市場の理念、すなわち、社会の諸資源は、競争による価格と利潤の変動に合わせて部門間を自由に移動する企業(家)と家計が財・サーヴィスの交換を何らの規制なくおこなえる「自由な市場」の作用によって、最適配分される(「パレート最適」の実現)との前提はユートピア的である。そのユートピア性は、現代の開発途上諸国の経済開発や旧共産主義体制諸国の市場経済への「移行」に伴う混乱に具現化されており、その混乱は19 世紀ヨーロッパ諸国が自己調整的市場理念に依拠しておこなった社会転換で経験したものと同質である。❷この開発と「移行」における社会的混乱(現代世界の混乱)は、IMF, 世界銀行、アメリカ政府(財務省)、有力民間投資銀行が自己調整的市場理念に基づいて操作するグローバルマネーの「自由な国際移動」によって引き起こされている。❸社会や国を構成する人々の経済生活の変化は、市場システムの成長・拡大によって導かれるが、その速度はきわめてはやくしかも加速されるので、抑制が必要である。なぜなら、人間は長年馴染みのある制度化された伝統や慣習や価値観の下で生活を送っているため、急速な社会変化に対応することは難しいからである。ポラニーの、19世紀市場文明の歴史的特徴は4つの制度に支えられていた点にあるという見解や、伝統的諸社会の経済システムを互酬、再分配、家政によって把握する視点は、彼が現代の経済学に支配的な制度論・組織論的アプローチの先駆者であることを物語っている。❹自己調整的な市場システムに固有の欠陥は、人間の社会的絆の果たす役割
に無理解・無関心であるため、そうした絆や制度を破壊しがちである。❺経済大国は経済活動の自由を際限なく主張するが、それを無規制に承認することは、弱小国の経済的自由を奪うことになる。大国の経済的自由―自由ではなく、専横というべきであろう―を少しばかり制限することが、弱小国の自由を拡大することになるのだ。ポラニーがいう「複合社会における自由」の意味である。1990 年代末のラテンアメリカ諸国、ロシア、インドネシアにおける金融破綻とそれに伴う混乱は、この専横の実例である。❻多くの開発途上諸国の貧困問題、環境問題、分配の不公平の問題、女性と子供の劣悪な状況、人権抑圧問題、軍事問題は未解決であるが、これらは市場メカニズムの効率的で円滑な運営のみで解決できない。

 若干、思いつくことを以下にコメントしておきたい。

 確かにスティグリッツは現実に新古典派経済モデルをそのまま適用することを批判している。しかしこの序文では触れられていないが、スティグリッツは同時に、政策や市場の限界(失敗)を評価する上で、つねにパレート最適の観点から顧みる必要性を説いていることも事実である。したがってスティグリッツ新古典派モデルの批判は、反経済学的(反市場的)なものではなく、現実への経済学モデルや思考の適用がいかにあるべきかを説いたものであることに注意する必要がある。つまり市場原理主義を批判はしているが、政府介入が適切に行えれば、市場が機能すると想定している点で、きわめて市場的な思考なのである。

 さらにスティグリッツの序文そのものをみると、彼が国際貿易の自由化が失業の増大を招くことでかえって貧困を深刻化させる、と書いているが、ここもよく読む必要があり、おそらくこの序文の背景にあるIMFー米財務省批判の根拠となっている東アジア経済危機でのワシントンコンセンサス的処方箋(財政再建や経済過熱化への忌避と自由化の組み合わせ)を考慮すれば、失業問題に(財政再建や経済過熱の抑制を理由とする)高金利政策という緊縮政策と自由化のパッケージが最悪のものであり、その延長上で、経済のリフレーション過程を押し殺すような(高い失業率を放置したままの)低いインフレだけを目指す「インフレターゲット」への批判も展開されているのだろう。

 この点も考慮にいれれば、スティグリッツが経済的自由化そのものを完全否定していると考えるのは誤りであり、むしろ適切な政策の割り当て(失業問題へのリフレ政策と適切な再分配さらに貿易の段階的な自由化)が行われれば、これまた市場が経済的自由を促す役割を担うと考えている点を見逃すべきではないと思う。

 簡単にいうと、スティグリッツ市場原理主義者ではないが、市場主義者なのである。

[新訳]大転換

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