派遣労働者関連メモ(『不謹慎な経済学』元原稿抜粋)

 いや〜はてブみてよかった。すげえ、初歩的なことミスって堂々書いてた。汗。メモ程度ですって控えめに書いておいてよかったねw*1

 というわけで冷や汗をひとかきかいて労働をしたので、ここであとのエントリーに関係するので、『不謹慎な経済学』から派遣労働に関する文章を以下にコピペ。

 :例えばエコノミスト門倉貴史森永卓郎らが、派遣労働者法が労働者の働く選択の自由を拡大するどころか、生き方の制約になってしまっていると指摘していることに通じるものがある。
 門倉貴史『派遣のリアル』(2007年、宝島社新書) では、現行の派遣労働者法が生み出したともいえる派遣事業の規制緩和の弊害について厳しい指摘を行っている。門倉の批判は、(1)労働者は商品ではない、商品として扱われると著しく経済的立場が不利、という事実がまずあること。(2)「偽装請負」「二重派遣」などの企業の「搾取」といった利権が広汎に観察されていること。(3)労働者の大多数が正社員を強く望み、派遣社員の地位そのものが生活不安定化に貢献していて社会的に好ましくない、という社会的合意があること。以上から派遣労働者の交渉力が弱いために、彼らの賃金が生存可能ぎりぎりまできり下がるという一種の「市場の失敗」が論点になっている。
派遣労働者法の改正による規制緩和が、中長期的に非正規労働者を激増させ、なおかつそれが経済格差の拡大という形で、社会の不安定を生み出すならば、やがて社会的コストを国民が分担しなくてはならないだろう、というのが門倉の議論である。
このような派遣事業に関わる利権の存在が、深刻な市場の失敗基づくときは、再規制することで中長期的な経済格差の拡大を防ぐのが有効である。もちろん短期的には非正規雇用の職が規制強化で失われ、雇用コストの増加でグローバル化に適応できなくなるという反論が予想される。しかし(2)の広汎な存在があるならば、労働者保護の観点が優先されるべきである。正社員の労働市場を改革して雇用の流動化を促す、という発想もこの場合ではお門違いである。なぜなら派遣労働者の交渉力の劣位が「市場の失敗」の原因だからである。
派遣事業の利権問題については、あまりに対応策を効率中心主義に解釈している、というのがムーアや門倉らに通じる問題意識である。問題はむしろ古典的な効率と公平(社会的なモラル)とのトレードオフである。このふたつの経済・社会的価値をどのようにバランスをとるのか、これが今日の日本の“改革”が求められる視座であろう。:

*1:あとでこういうの書いちゃうとストーカーみたいな人からメールがきて「経済学者をよく批判できますね、思想史家が プゲラ」と書かれちゃうからなあ 笑。あ、そのストーカーみたいな人(いままで何十回も嫌がらせのコメントやメールをほぼ同一人物からいただきました)、近いうちに警察に届け出る予定ですのでここで告知。それでどうにかなるかわからないけれども保険として活用するべきだと決断しました。ちょうど免許の更新が近いので警察署に行くからそれに連動して行けば機会費用の点からもいいかなあ、と思う。しかし、こういうのコメント欄開いとけば一発で、「田中、何バカなことを書いてるんだ!」と怒りの投書が炸裂するはずなんだろけれども……コメント欄開けとくと、まあ、それはそれで上に書いたような面倒なことにつながるから