ライアン・エイヴェント『デジタルエコノミーはいかにして道を誤るか』(東洋経済新報社)

 現在から将来にかけてのテクノロジーのあるタイプの発展を前提に、労働力の余剰が世界的に出現すると説く、なかなか面白く、予想面を除いても現代の日本経済にも大変に示唆的な本である。

 似たような書籍を、我々は井上智洋さんの『人工知能と経済の未来』(文春新書)で持っているのだが、そのせいかエイヴェントの議論が頭にすいすい入る。

 「将来の雇用の機会は、仕事を自動化するテクノロジーと労働力の余剰によって大きく制約されるだろう。この二つの要因が重なって、雇用はトリレンマの状況に陥るだろう。新しい仕事の形は、1)高い生産性と高い給料、2)自動化に対する抵抗力、3)大量の労働者を雇用する可能性、という三つの条件のうち二つしか満たせない」

 というのがざっくり著者の見取りである。これ自体は特に目新しくはない。むしろ後半の雇用市場の分析がいい。それは市場の自律的調整を前提にする正統派経済学への批判である。まず著者の雇用市場は、労使の交渉力の多寡に応じて決定される。そのとき組織的な抵抗ができない、つまり組合が衰退している労働者は不利な立場に立たされやすいことになる。

 経済格差が深刻化しているので、不利な大多数の労働者(趨勢的に労働の取り分も減少していく)は、その不満の解消を政治に求めざるをえないが、他方で富裕層もその資金を消費よりもむしろ政治へのコントロール資金にまわすかもしれない。そのため新しい政治的ビジョンが求められる、とするがここは具体的なものを出し切れていない。

 他方で、長期的停滞(恒常的消費不足…高齢化、格差ゆえに貧しい大多数の人は消費したくてもお金がなく、他方で富裕層はそんなに消費しない)を脱却するために、都市部の大胆な規制緩和と対をなす都市部への集中的なインフラ投資、やまた中央銀行を利用した大規模な国債買い取りでの資金供給、要するにヘリマネなどが求められる。これは正統派経済学のビジョンの見直しを迫るだろうというのが、著者の主張である。

 よくある教育投資の効果にも著者はいい面と悪い面双方をみていて、なかなか面白い。またソーシャルキャピタルの重要性も個人的にたいそう興味をひかれた。最低賃金ベーシックインカムについてもその効果と弊害をかなり丁寧に議論してもいる。

 こういう本はもっと読んでみたい、と思わせる一書である。

デジタルエコノミーはいかにして道を誤るか

デジタルエコノミーはいかにして道を誤るか