昼下がりの常時

世間がバブル、湾岸戦争の時代に僕は何をしていただろうか?  これはそのときのつまらない記憶である。


 起きたときはもう9時過ぎで、彼女はとうに会社に出かけていた。僕はテーブルの上の書きおきと小遣いを見下ろした。出掛けに声をかけられた気がするがはっきりしない。小遣いといっても、その日の僕たちの食材購入費、それに支払い予定にある光熱費なども含まれている場合もあった。

 ここ数日は、彼女が寝た後に、居間でテレビゲームをやっていたので起きるのが午後になるときもあった。遅い朝食兼昼食をすまし、またゲームの続きをやっていると、強いオレンジ色の夕陽が窓から差込んできた。体にだるさが充満し、時間の感覚が不安定になる。

 目出度くロールプレイングゲームもエンディングを向かえ、僕の生活もややましになっていく。それでも夜型の生活パターンからはなかなか抜け出すことはできなかった。今日は図書館の返却日である。働いていたときから使っているバックに本を詰める。気がつくと手提げ部分がいかれていた。しかし自転車のカゴにいれていくので問題はないだろう。

 日本銀行のグランドの横を過ぎ、石神井池三宝寺池の間を通っていく。木々に覆われ薄暗く、急な坂道を越えると石神井図書館があった。もう10時をかなり回っていたので、自習室の席はほとんど埋まっているだろう。とはいっても僕はここで読書をする事をあまり好まない。満席ならば、本を借りて、あとは書架を冷やかして出るつもりだ。

 僕は都内のいろいろな図書館に“旅”をしていた。出てまもない『東京ブックマップ』をてがかりにしていた。石神井、練馬、中野、新宿、板橋、杉並、日比谷、都立中央、国会図書館、そして東京大学の経済学部図書館。最後のところは専門書が中心だったが、ここを利用するのは91年になってから、まだずっと先のことだ。

 母校の図書館はなぜか行く気がしなかった。まだサラリーマンだったころに、有休を利用して図書館にいったことがある。その時、たまたま専門ゼミの教員だった人に出くわし、「なんでここにいるんだ」と怪訝な顔で問い質されたことがあった。ましてやいまは働いてさえもいない。そんなことが足を遠のかせていたのだろう。

 案の定、自習室は満員だった。平日なので、学生や子どもたちの姿はない。老人たちがほとんどで、時間のよどみのなかで、発掘作業を黙々としている考古学者のようだ。僕は、書架の方にいき、マリオ・プラーツの『肉体と死と悪魔』に挟まっている「翻訳書誌」を頼りに何冊か借り出した。

 この図書館での“獲物”もそろそろ限界かもしれない。僕は図書館を出ると、いつものように大泉学園に向かって自転車を漕ぎだした。途中、三宝寺池の横にやきとりを売っている屋台があった。まだ誰も店にいないが、今晩は焼き鳥もいいかもしれない、と僕は思った。

 この生活が始まってしばらくの間は、家とこの近所の図書館を自転車で往復することだけが日課だった。あとは頼まれていた買い物、家事や食事の用意、そして時間の大部分を消費する乱雑な読書、テレビゲーム、午睡だった。彼女以外にまともに話す相手もいない。そんな生活がだいぶ長く続いていた。

 しかしここでちょっとした問題があった。ある日、図書館に置いていない本を頼もうとして司書のカウンターにいったときのことだ。声が半拍おかないとうまくでない。語尾のろれつもなんとなくあやうい。自分でも流暢に話す方だったので焦った。家で彼女と話すときはいままでと変わらないのに。

 それからは日常の行動範囲を広げる努力を始めた。まず当時はかなりの贅沢だったが、近所のファーストフードやコーヒースタンドに立ち寄ることを日課にした。そのとき注文もメニューを指差してすまさない。きちんと相手を見てオーダーを丁寧に言うことを心がける。それだけでも始めはちょっと努力がいることだった。

 お気に入りは、大泉学園だとド×ールコーヒー、石神井公園だと駅前のサン×リーである。図書館から自転車でいけば両方ともそんなに大差ない位置にある。どの店でもそうだが、平日の日中は、女性たちでごったがえしている。小さい子どもを連れている若い母親同士のグループからのソプラノはとりわけ高い。

 始めのうちはこの女性たちの熱気に驚いたが、次第にこの歓声の中に身を沈めることに安堵感を抱いてきた。それは雑踏の中でほっと一息する感覚に似ている。人の喧騒が大きければ大きいほど、自分の存在が天敵から隠れていってしまう、そんなところだろうか。これもこの生活を始めてから気がついたことだ。

 ところで主に金銭的な理由で、とりわけ愛用したのがド×ールコーヒーの方だ。まず床から一段高く据付けられたスツールがちょうど長居するのにいい。照明の加減や空調も僕の読書に適していた。この愛用のスツールと体に合った照明、空調、そして長居の客を気にもとめずに熱心に働く店員は、僕のこの生活の最後まで続くものだった。

 店員の中にいつもポニーテールの綺麗な女の子がいた。応対が丁寧で、店の中でもチーフ的な存在だと思う。彼女を相手に“発声練習”ができればその日はちょっと嬉しいことだ。ところでこの店に来るようになってほどなく気がついたことがある。それはこのポニーテールの子と決まって同じ時間帯に働いているバイトの男の子がいることだ。

 男の子は長身で筋肉質、浅黒くて歯磨きのポスターに出てきそうだった。このポニーテールの綺麗な子と歯磨きのモデルの組合せが働く様を、僕は読書の合間に見るともなしに眺めた。やがてふたりは本当のカップルになり、彼女と彼の名札についている名前が同じになり、そして僕の目の前からふたりとも消え去るのだが、それはまだ随分先の話だ。

(昼下がりの常時 終)