吉野作造政治史講義ノート(1919年度)の歴史的かもしれない「発見」

 これは東京大学の若い研究者問い合わせで改めて「発見」したものです。僕はもう何年も前に、群馬県立図書館の委託を受けて住谷悦治文庫の未整理資料(ダンボール40箱以上で一室をしめる膨大な量)の整理をまかされたことがありました。実は何回かやってからその後、他の仕事が忙しくもう何年(5,6年?)もそのまま調査を中断にしていました。ただ最初の何回かの調査のときに図書館から許可を得て、資料をいくつか研究のために持ち出していました。それをまったく僕は忘れてしまっていたのですが(やがて住谷一彦研究の再開の中で取り組む流れだったのでしょうが)、冒頭の研究者の方の問い合わせでその資料をあらためて「発見」しました。

 いつか研究しようと思っていたのでしょうが、僕自身はいまはまったく住谷悦治研究からは違う関心に代わりましたので(住谷一彦研究に住谷研究の軸足が移ったためです)それは冒頭の若い研究者の方々にお任せしたいと思います。きっとこの若い研究者の手によって吉野作造研究に画期的な一枚がくわわることでしょう。

 ただとりあえず「発見」したのはどうも僕のようなので 笑 その権利??だけはここで行使させていただきたいと思います。すでにこの僕の「発見」については、(本人が書いたのをボケて忘れてましたが 恥)、伊藤隆・季武編『近現代日本人物史料情報辞典2』での住谷悦治氏についての田中の記述の中でこの講義ノートの存在を書いていました。

 以下にその講義ノートの内容を紹介しますが、このノートの最大の売りは、講義の全体像をメモしていること、さらにこの講義ノートが1919年のものであることは歴史的にも非常に重い価値を持ちます。なぜならこの1919年から吉野は福田徳三(いま田中の研究の主テーマのひとつ)とともに黎明会の活動を開始し、まさに大正デモクラシーの運動の絶頂にあったためです。この講義ノートはその意味で、吉野の絶頂期の思索を伝える歴史的にみて非常に重要なものだと思われます。しかも講義の中心テーマは「戦争」、「戦争による政治思想の変化」です。その意味でも今日的な意義も大きい。当時のヴェルサイユ条約体制への吉野の評価、そしてレーニンの政策への評価など、「政治史」とは思えない当時の時論的な話題を加えています。

 そしてなによりも後にかの「爆発だー!」の岡本太郎と論戦しただけある悦治氏のまことにうまい吉野作造氏の肖像画がノートにあることです。たぶん講義中の肖像でしょう。これはあとでスキャナーで紹介します。なお岡本太郎との論戦がどのようなものかは機会を与えていただければ書いてみたいと思います。どなたか与えてください 笑。

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