Twiiterでつぶやいたことを再構成。
いわゆる(上念司さんが芸風で使う)ネタとしてのコミンテルンではなくて、歴史的・思想的問題のコミンテルン・テーゼの影響は、現実にいまの私たちの経済の見方にもまだその影響を残している。コミンテルン32年テーゼは、同年、日本共産党に入党したばかりの河上肇が筆名でいち早く訳し「赤旗」で公表された。
コミンテルンはこの32年テーゼの前にも日本の共産党に対してテーゼを連発して「指導」していた。河上肇は1920年代後半から明瞭なマルクス主義、共産党のシンパになり、やがて正式に32年に入党。32年当時(32年テーゼの前だが)、河上肇はリフレ派と苛烈な論争を展開した。
以下は『昭和恐慌の研究』の若田部昌澄さんの第2章論説での解説による。河上の32年におけるリフレ派批判(石橋湛山を直接の論争相手)は、なによりも「資本主義の矛盾」を問題。この「矛盾」とは資本主義にとって金本位制は欠かせないのに、その停止がリフレ派等から要求されている事態をさす。
一応、補足すると、昭和恐慌時の金本位制は、その制度的特徴により、1)日本にデフレをもたらした、2)各国のデフレショックを何倍にも加速し波及させるメカニズムになっていた(詳細は田中&安達『平成大停滞と昭和恐慌』など参照してください)。
河上が資本主義に金本位制(デフレレジーム)が絶対に欠かせない、と主張し、それゆえに資本主義はデフレによって死に至る病人である、と指摘した。またリフレ派に対しては、ふたつの批判をした。1)金本位制がないとハイパーインフレがおきる、2)リフレ政策は無効。つまり無効か、超インフレかだ。
資本主義は資本主義であるかぎり構造的にデフレが続く。そしてその体制を否定するリフレ政策は、1)まったく効かない、もしくは、2)ハイパーインフレになる、それが河上の批判だ。これがコミンテルンの影響された河上の理屈であった。この「思想」の遺伝子を21世紀日本で見つけるのは簡単だ 。
ちなみに河上だけではなく、さらに深刻なのはコミンテルンの32年テーゼに影響された講座派の日本資本主義論は、別様な形でいまも大学の教育プログラムの中にある。別にそれを一々排撃するものではない。意見の多様性はコミンテルンテーゼにももちろんあてはまる。だが、その由来を知っておくのは重要だ。
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