神戸大学の新聞記事文庫のデジタルアーカイブに関東大震災関連の記事が公開されている。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/sinbun/
これを読むと今回の東日本大震災と不思議なほど新聞記事の論調が似ている印象をもつ。例えば米国や中国など世界が日本に同情し、またその震災時の救命活動そのほかを称賛しているという記事。あるいは理想的といわれてきた耐震建築がなぜ崩壊したのか、など安全神話の崩壊を問題視する記事、
経済政策関係では、帝都復興院の創設とその活動を伝えるもの、火災保険の支払い問題、焼失地の政府買い上げ問題、失業者救済問題また暴利取締関係が目立つ。また復興資金では内債、外債での調達の配分をめぐる議論、さらには増税で調達すべきだという議論もある。
さらに注目すべきなのは、震災直前までの最大の経済論争は金本位制への復帰であった。主流は旧平価での復帰である。これは震災後一時期新聞紙面から消えたが、翌年の6月以降から紙面でも復活し始める。
要するに関東大震災後の経済論争とは、「失われた13年」といわれる戦間期におけるデフレ不況をめぐる経済論争のひとつの通過点であったことは疑いなく、その復興政策にも後の昭和恐慌期におけるデフレ不況をめぐるすべての論争点がすでに出そろいつつあった。
経済学者では神戸正雄(京大教授)の発言が目立つ。彼は市場経済を重視する一方で、政府と民間の緊縮政策、財界整理=清算主義、物価下落(デフレ)政策、早急な金本位制への復帰などを積極的に説いた。また復興資金の調達方法では国債調達を批判し、増税を説いた。彼はまた消費税の先駆者としても知られている。
財界では、神戸とまさに同じ論を唱え続けた人物として武藤山治をあげることができる。彼はまた福田徳三などの学者や財界人たちに呼びかけ、各種の会合をひらき、復興政策の緊縮化、デフレ的政策の完遂を提言した。このとき福田徳三は金本位制復帰については慎重な態度をみせた(後に積極的復帰論者に変化する)。他方で武藤はその後、昭和恐慌期では新平価解禁派になり井上準之助と激しく論戦を展開している。武藤と福田の立場の変化に、この時期の経済論争の変化の激しさをみることもできるだろう。
神戸も武藤もまた他の政財界の人々も、「根本病」を片づけることこそが震災復興のみならず、日本の前途を明るくするものだと信じていた。ただしその「根本病」というものは何をさすのか、論者たちの発言からはほとんど明確なものを読みとることは困難である。
なお、柳田國男もこの時期朝日新聞に経済問題について投稿を続けていて、積極的な復興政策を提唱していた。
他方で雑誌(総合雑誌、経済専門誌、学会誌)などでは石橋湛山、福田徳三、小泉信三らが登場し積極的に震災経済の在り方について議論していた。高橋亀吉はまだ論壇にデビューしてまもなく、彼はこの時代、「根本病」論者でもあった。
これらの問題はやがて経済学史学会関東部会でより詳細に議論していくつもりである。
「失われた13年」の経済論戦や、また福田徳三と武藤山治の立場の変化については以下の『昭和恐慌の研究』の、若田部論文、田中論文、中村論文などを参照のこと。
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