政策割り当て論(『構造改革論の誤解』kindle版関連)

 経済問題を議論するときの基礎の基礎の基礎は
  自分の好き嫌いの次元と事実判断をできるだけ分けること。

 さらに基礎の基礎は、「政策の割り当て論」といって以下のことを意味する。

 1)いま自分が問題にしていることがなんなのか正確に把握すること、2)その問題に合った解決策を見出すこと、これだけ。
 しかしこの基本中の基本ができてない人が多い(プロでも多い。ただし理由は利害関係や特定イデオロギーでの歪みだが)。

 この「政策の割り当て論」を十分に扱った書籍が『構造改革論の誤解』(2001年、Kindle版は2014年)だった。当時も今もほとんどの中味が通用するが、以下ではその「政策割り当て論」についての要旨を書いた論説、それを雇用問題について適用した講演速記録を紹介する。ただし正確かつ詳細に知りたい人は上記著作に当たられたい。

構造改革論の誤解』ダイジェスト版
http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20081101#p3
一部引用

そして、結局「景気か構造改革か」という不毛の対立のみが残ったというのが日本の現状である。

 これが「日本の失われた十年」の実態であったとすれば、われわれはそこから、少なくとも次の教訓を学ばなくてはならない。それは、「景気か構造改革という二者択一ドグマに陥ってはならない」ということである。この「二者択一ドグマ」とは、「景気対策構造改革の妨げになるから行うべきではない」とか、逆に「構造改革は景気回復の妨げになるから行うべきではない」という考え方である。つまり、一方を盲目的に称揚しつつ他方を否定するような「構造改革原理主義」あるいは「景気原理主義」の立場である。原理主義の特徴とは、「自らとは異なる立場の全否定」にある。あらゆる原理主義と同様に、この二つの原理主義も、政治的、思想的スローガンとしてはともかく、現実への処方箋としては有害無益以外の何物でもない。

 本来、景気対策としてのマクロ経済政策と構造改革は、その目的および手段を異にしており、対立しあうものでも矛盾するものでもない。構造改革とは、経済の効率性改善へのインセンティブを生み出すような各種の制度改革のことであり、具体的には公的企業の民営化、政府規制の緩和、貿易制限の撤廃、競争促進などである。いま問題になっている特殊法人改革や郵貯改革などは、まさしくそうした意味での構造改革である。これらの改革は、資源配分の適正化を通じて、経済の潜在成長率の上昇に寄与する。それに対して、経済全体の需要不足によって、現実の成長率がこの潜在成長率にまで到達していないときに必要になるのが、マクロ経済政策である。その目的は、総需要の調整を通じた適切なインフレ率および失業率の達成および維持である。

「二者択一ドグマ」的思考が有害無益なのは、現在の日本経済が、明らかにマクロ経済政策と構造改革の両方を必要としているからである。マクロ政策が必要なのは、日本経済はいま需要収縮とデフレ・ギャップの拡大によって、未曾有のデフレと失業の罠に落ち込みつつあるからである。そして、構造改革が必要なのは、われわれの経済が巧妙に張り巡らされた権益システム=「虎の門体制」に囚われているからである。経済のマクロ的収縮を反転させるのに必要なのは、デフレ阻止を目標とした徹底した金融緩和政策であって、構造改革ではない。同様に、非効率かつ不公正な権益システムの廃棄に必要なのは、構造改革であってマクロ政策ではない。マクロ政策はあくまでもマクロ安定化のためのものであり、構造改革は構造問題の除去のためのものである。この両者の「政策割り当て」を取り違えてはならないのである。

「雇用破壊は構造改革ではない」
http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no160/ridazusemina.htm

構造改革論の誤解

構造改革論の誤解