学校選択制といじめ(メモ書き)

 松尾匡さんがホームページのエッセイで「学校選択制の外部性が大津いじめ事件を生んだ」http://t.co/UicP0sI9というものを書かれた。簡単にいうと市場の失敗としていじめをとらえている。

以下、抜粋。

学校選択制が事件の隠蔽をもたらしたのではないかということが書いてあります。
 これはそのとおりだと思います。こんなふうに言うと、「教育には競争原理わぁ〜」とかの神学論争が始まるのかとお思いのかたもいらっしゃるでしょうけど、そんなこととは関係なくて、全くもって身もふたもない「経済学」の理屈でこれが言えるのです。

 普通の商品で市場メカニズムがうまく働くのは、コストや便益が取引当事者にだけかかってくるからです。
 取引当事者の外にまでコストや便益が及んでしまうことは、「外部性」と呼ばれ、これがあると市場メカニズムはうまく働かなくなります。例えば「公害」なんかが典型的例として言われます。
 この「外部性」の中に、「ネットワーク外部性」と呼ばれるものがあります。これは、需要側が商品の便益に影響することで起こります。普通の商品ならば、商品の便益は供給側の要因だけで決まり、需要側は関係ありません。ところが、例えばパソコンのワープロソフトなんかの場合、現に需要者がどれだけいるかということが、商品の便益に効いてきます。「一太郎」というワープロソフトのことを覚えている世代もだいぶ歳とってきましたが、昔はマイクロソフトの「ワード」よりも「一太郎」の方がいいと言っていた人もいました。しかし、世の中の多数が「ワード」を使うようになったら、ワープロファイルのやり取りをするときに、多数に合わせて「ワード」を使わなければ不便になります。
 こうしてたまたま一旦需要者の多数を獲得した商品は、そのことが理由で便益が大きくなって、ますます需要され、やがて全市場がその商品によって制覇されることになります。そうすると、その商品が本来どれほど優れているかということとは、ある程度無関係に、ただ出発点の状態がどうだったかによって、結果が左右されてしまいます。

 学校もまた、需要者によって便益が左右されるために、一種の「ネットワーク外部性」と似た性質を持ちます。学校選択制を布くと、「お利口さん」の生徒がたまたまたくさんくれば、「いい学校」とされるようになります。そしてますます「お利口さん」たちの親御さんから「需要」されるようになります。逆に、たまたま「札付きのワル」が一人でも入ってくれば、「お利口さん」の親御さんからは「需要」されなくなり、ますます荒れて、ますます「需要」が減って、どんどんと悪循環に陥っていくかもしれません。
 こうして、その学校の本来の教育能力とは関係なく、たまたまどんな生徒が入ってきたかということによって、結果が左右されてしまうわけです。
 (まあ、これは以前、基礎経済科学研究所のサイトの「基礎研政治経済学用語事典」の「外部経済」「外部不経済」の項で書いた話なんですけどね。)

 これはたしかに、レストランや飲み屋やホテルなどでも同じことです。
 しかしこれらの業界が、市場メカニズムでうまくいくのは、店側が客を選べるからです。他の客にマイナスの影響を与える客は排除できるのです。
 これと同じ効果を得るためには、学校もまた、定員が埋まる埋まらないにかかわらず、学校の判断で入学を拒否したり退学させたりできないといけません。しかしそれは義務教育では認められません。
 そもそも本来ならば、多少のワルがきても、いじめがあっても、粘り強く働きかけて、生徒の心がけ自体を変えていくというのが教育のあるべき姿です。しかしそんな悠長なことをやっていても、はっきり成果が上がる前に、次の年度には新入生から逃げられてしまいます。コストばかりかかるわりには報われません。どんなに安易であれ、「切り捨てる」という手段が取れないと、市場競争のもとではやっていけません。
 ところがその手段が封じられるとなるとどうなるか。
 当然です。いじめが起こっても、断固として隠す。こうなることは全くの合理的選択の結果です。

 では隠してもダメだとなったら、今度は何が起こると思いますか。ほら、表立って解雇できないけど人手を減らしたい時、腹黒経営者がよくやる手ですね。いじめ倒したり不都合な業務につけたりして自分から辞めさせるって方法。同じことで、やめさせたい生徒は邪見に扱って、自分から転校するようにしむけるわけです。

 これを読んでなんとなく釈然としないものがあった。あまりにも簡単に市場の失敗を持ち出しているように思える。あるいはありがちな「市場」のイメージにあまりに乗りすぎている感じがするというか。この釈然としない(つまりはまだよく自分の中で学校選択制を理解していないだけなんだが)ところを少しでも払拭しようとTwitterですこし情報収集やこの問題の専門家の安田洋祐さんにもご意見を頂戴したので、以下にメモ書きでそれを転載。

1.まずそもそもの学校選択制については、以下の安田さんの説明がもっとも直観的にわかりやすかった。。特にありがちな学校選択制が「格差」を生むという誤解を解いている。
「より良い学校選択制を目指して」http://t.co/olgIYIy0

2.糟谷祐介さん(Northwestern Universityの院生の方)が早大などで以下の論題で報告されたよう。これは面白そうなテーマ。
 Anti-bullying School Choice Mechanism Design。論文は検索したけど残念ながらみつからず

3.学校でのいじめの簡単なゲーム理論からの説明は、松井彰彦氏の『高校生からわかるゲーム理論http://t.co/mKyEFLoyがある。また安田さんから教えていただいたのが、山岸俊男氏の『「しがらみ」を科学する: 高校生からの社会心理学入門』。これは初期値の違いが、結果としてかなり極端ないじめのケース(一人対クラス全員のいじめの構図など)をもたらすということを説明している。これはトマス・シェリングが『ミクロ的動機とマクロ的行動』で紹介していた発想をいじめに応用したものだろう。

4.学校選択制については、その基礎理論としてメカニズムデザインの勉強が必要。僕は知識が不十分なのでこのレクチャーノートがネットではよさげ。三原麗珠氏のメカニズムデザインのレクチャーノート http://t.co/jorR2afB

5.もちろん安田さんたちの『学校選択制のデザイン』は必読

6.安田さんからもTwitterでご意見を頂戴して、これは示唆的。

少しロジックが強引だと思いました.確かに,すでに起こってしまったいじめを隠すインセンティブは選択制の下でより高いかもしれませんが,事前にいじめを起こさないインセンティブも同様に高まるはずです.両者を考慮してどちらの影響が強いかが議論されるべきでは。とりわけ,選択制の下では親の学校に帯する関心(監視?)が強まるので,いじめに関する噂などは広まりやすく(=隠しにくく)なります.これは単なる宛て推量ですが,大津のような問題が明るみに出ること自体が,選択制の隠れた影響なのかもしれません

まだ僕が十分にいじめの問題を経済学から理解していない側面が強いので少しこれから調べていきたいと思う。そのためのメモ書き。

学校選択制のデザイン―ゲーム理論アプローチ (叢書 制度を考える)

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Micromotives and Macrobehavior (Fels Lectures on Public Policy Analysis)

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