裁量労働制の拡大をめぐる経済学メモ

 政府の「働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律案要綱」は簡単にいうと二つの構成要素からなっている。一つは残業時間の上限規制の強化、そしてもう一つは裁量労働制の拡大である。

 政府が労働時間に介入することの正当化は、通常の経済学ではかなり例外的なものととらえられる。だが私はこのブログや自分の著作・論文の中でも常に書いてきたように、新古典派的な労働経済学の発想には反対である。通常の新古典派的な労働経済学では労働者と資本家(雇用者)は対等の交渉相手として設定されるのが「標準」である。だが実際には労使の交渉上の地歩は異なり、労働者よりも資本家(雇用者)の方が交渉力は上である。このようないわば「権力」の差異があれば、労働者の働く位置は生存水準ぎりぎりの労働時間(余暇)と報酬の組み合わせに落ち込む可能性がある。このような労働市場観は経済学の歴史の中で常に存在してきたし、また実際の社会政策や労使の交渉の中でも実践的な意味を持ってきた。しかし現時点の経済学者の中ではこのような市場観をもつものは希少である。

 この観点からいえば、政府が残業時間の規制に乗り出す(上記の私たちの立脚する)経済学的根拠がある。他方で新古典派的な労働経済学では通常は見出しがたいだろう(もちろん一工夫すれば介入の根拠は新古典派でも生じるが、そもそもの市場観が異なる)。また裁量労働制の拡大については万歩譲って慎重であるべきである。基本は現状からの緩和方向には反対である。基本的には裁量労働制の範囲を厳しくすると対象者が限られてくるがゆえに相対取引になるだろう、そのときに今書いたような労使の交渉上の地歩が影響すれば、裁量労働制の拡充は労働者にとって厚生の悪化を招くだろう。これについては最後に実証的な論文があるので紹介する。

 裁量労働については、範囲の厳格化や健康条件への配慮を改正要綱では求めているが、大手企業を含めて裁量労働制の悪用が行われている事例がままあり、またそれを監視するコストを政府が十分に払っているわけでもない。

 さてこれが私の基本的な立場なのだが、このエントリーはそれが主目的ではない。自分のための文献メモを作るのが目的。

 以下ではこの裁量労働制などを考えるときに参考になる論説を紹介する。

 ちなみにこのブログで読むことのできる私の立場を書いたものは以下のエントリーである。
 僕がミクロ問題を考えるときのひとつのベースhttp://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20090802#p1

 ところで現在、論点になっている上記「要綱」はそもそも厚労省労働政策審議会の答申である、その会長である樋口美雄氏の立場も、例えばリフレ派でいえば、私や片岡剛士さんや森永卓郎さんに似ている(ただし樋口氏と我々のマクロ経済の考えが同じだという意味ではないし、ミクロ政策的にも個々立場は違うだろう)。理論的な先行者は遠くはアダム・スミスに行きつくが、日本では福田徳三から最近では辻村江太郎氏が理論的に整備した。私や片岡さんのはそれを修正したもので、樋口氏のも同様である。

 樋口美雄「経済学からみた労働時間政策」https://www.rieti.go.jp/jp/publications/summary/10020001.html
 山本周平「正規雇用者の労働時間と勤務時間制度の関係 https://www.pdrc.keio.ac.jp/uploads/11e204cd9e329a30e93a0b6df5cfa529.pdf

「そして労働時間関数の推定の結果、先行研究ではあまり考慮されてこなかった家族属性
や内生性を統御した場合でも、「裁量労働・みなし労働時間制」適用者の労働時間は、通常
の勤務時間制度の者に比べて有意に長いことが明らかになった。適用要件が厳しい裁量労
働制は適用者の数が限定されるため、労使の交渉が一対一の相対取引になりやすい。外部
労働市場が未発達のわが国においては、裁量労働制の適用を受けるような高度なスキルを
有する労働者であっても、こうした相対取引の場合、使用者の要請を断ることは容易では
ないだろう。労働時間の自発的選択が可能な裁量労働制の適用者であっても、労働市場
構造的問題によって長時間就業を強いられている可能性が示唆される」

 なおより広い視点からマクロ経済学の範囲まで含めて、田中と片岡さんで何度か対談も行ったのでそのときのエントリーもぜひみておいてほしい。このエントリーにまとめたhttp://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20141002#p1