文月悠光「朗読少女」「遊び恐怖症」二編

 先週、詩人の文月悠光さんとお話しする機会がありました。現在の詩の状況を真摯に考えておられて、その態度に感銘をうけました。詩集の『適切な世界の適切ならざる私』を実は、僕は全編朗読して読み終えました。詩を朗読するという行為は、初めは慣れないで、詩の意味も感触もすべてすーっと去って行ってしまうのですが、ある量を読んでいくうちにその詩の独特のリズムというか感覚が手にはいるような気がして、そこからはより作品世界に浸れますね。ただ体力が思いのほか必要なのも予想外でした。講義とか講演などとは別種の体力ですね。

 今回、読んだのは随筆「朗読少女」in『群像』(10月号)、エッセイ「遊び恐怖症」in『すばる』(10月号)です。『群像』を購入したのはたぶん30数年ぶりw、『すばる』は初めてだと思います。前者の「朗読少女」には引き込まれましたね。文月さんの詩を朗読した経験からでしょうか、その独特の文体にはじんでいたからでしょうか、いい作品です。

 街頭で詩を朗読する人はそういえばみたことがないなあ。詩と気が付かないだけかもしれないが。例えば夕方の鳥のざわめきとかも、「あれ詩でした」と数億年後に判明するかもしれないし。

適切な世界の適切ならざる私

適切な世界の適切ならざる私