『群像』を30数年ぶりに購入した話を書いて、今年は『文學界』もやはり30数年ぶりに購入した。こちらは大澤信亮氏の論文を読むため(で、よく読んでない 笑)。そのとき、同誌に芥川賞を受賞した西村賢太氏と朝吹真理子氏、そして島田雅彦氏の鼎談があった。西村氏の『苦役列車』は、後日、『サイゾー』のタブー特集で猪瀬直樹さんが賞賛していたので読んだ。印象に残るのだが、感銘というほどではない。ただ妙にあとに残る人で、ほかの作品を読んでみたい気持ちがある。朝吹氏のはまだ読んでない。で、この「朝吹」という苗字は、もちろん日本経済思想史で明治以降を対象にしていれば、かならず遭遇するだろう。僕は小泉信三の簡潔な評伝ともいえる山口昌男氏の『「挫折」の昭和史』で出会っている。
小泉が戦前の日本のスポーツ界、具体的にはテニスと野球に果たした功績が大きい。特に前者に注視したのが、山口氏の本だ。そこで朝吹一族との関係がかなり詳細に書かれている。日本がデ杯で活躍したのはそもそも朝吹常吉の貢献であり、小泉とは慶應のテニス部つながり、また朝吹一族と軽井沢の上流階級の人々の交流史などを、山口氏は手際よく(よすぎるほど)説明している。
小泉信三がスポーツ、文化(歌舞伎の観賞)を好み、その推進に貢献したことは、僕も関東大震災関連で、産経新聞の記事にコメントを今年残した。当時もいまも震災後には歌舞音曲の類を自粛する動きがあったが、小泉はそれについて、むしろ経済を活性化し、震災復興を順調にはかるためには、文化的な支出を増やすことが望ましいと強調した。これはいまの僕にはよくわかる発想ではあるが、いまでも発言をすると感情的な反発を買いかねない言葉かもしれない。それが日本という「空気」の100年近くたってもかわらない基層なのかもしれない。
「奢侈品購入の上に行ふ節約よりも、必需品購入の上に行ふ節約の方が効果が大きいのである。(略)此の非常の際に当つて、奢侈的支出が比較的無害であるといふのは異様の感を以て聴かれるかもしれないが」(「復興経済問題」『婦人公論』大正12年「自然の反逆」号)。
以上のような小泉の議論を産経新聞の海老沢類記者は次のようにまとめた。
「歌や芝居といった娯楽は特殊技能を要するだけに演じ手の転業が難しい。節約ムード一辺倒で支出が急に絞られれば廃業の危機にひんする。それは文化の先細りを招くだろう」(産経新聞2011年7月21日「語り継ぐ復興文化史」第一部関東大震災と希望 経済学の「外」で心を耕す」
さらに僕のコメントで付記しておく。
「震災を機に『人間の価値』、つまり『心』を高めていく必要性を唱えた点で二人(注:福田徳三と小泉信三)は同じ。ただ小泉は学問の「外」に出て自ら文化活動に傾注することで、経済活動を回す重要性を示しつつ、人々の生きる力をも掘り起こそうとしたのではないか」(同上)。
さて、その産経新聞の記事でも簡単に触れたかもしれないが、やはりこのような朝吹一族や慶應人脈、それらと軽井沢の上層階級との接点などが、やがて小泉と皇室、軽井沢とテニス、ご成婚などにつながっていくのかもしれない。そのことと、小泉の国家や天皇観、それと上に述べた文化的経済の重要性との関連など、いまの僕の関心の中心にある。
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