鈴木妄想『新大久保とK-POP』

 「新大久保ブーム」だという。その中核は、韓流ドラマや映画、K-POP、そして韓国料理やダンスなどへの若い女性を中心にした盛り上がりだという。確かにここ最近、大久保界隈に行く機会が多くなったので、コリアンタウン化している大久保の町並みの変化は激しいものに感じる。ただ休日や祭日に行ったことがないのでわからないが、それほどの大混雑なのかはわからない。なぜなら僕の知るかぎり80年代後半から90年代、そしていまに至るまで結構人ごみが激しい街だからだ。

 本書の前半三分の二は正直、ガイドブックのようだ。「新大久保の原宿化現象」であり、若い女性が中心であること。男性客も増えつつあることが多様な切り口から語られている。また『イケメンですね』のブームが語られているが、これは今日の高月氏の本のエントリーでも書いたが、韓国版の視聴率はそれほど傑出して高いというほどのものではない。「大人気」とか「人気がすざまじい」といわれても、少し疑問符が先行してしまう。クリーンヒット程度であり、一部のファンの熱狂を招いているというのが正直な感想である。

 本書の価値は後半の新大久保の歴史や、現在の多文化的な町並みになった大久保の変容とそこで生じている課題を扱ったところである。僕の記憶では、大久保がそれ以前の風景を劇的に変化させて、多国籍的になり始めたのは、80年代後半、世の中がバブル経済に突入する頃だ。そして90年代前半にこの多国籍化はひとつのピークを迎えていたように思う。本書でもそのことが語られていて実感レベルと親和的である。

 そのとき街がどのような課題をもっていたかまでは本書ではふれていない。現在のゼロ年代、しかもここ数年加速化しているコリアンタウン主導での多文化的な街ー大久保ーの課題、例えば在留外国人の子供たちの教育問題や中国人コミュニティなど地域との交流拠点やサポート体制の不備などはとても有益だ。特に中国人がコミュニティ形成に失敗していて(親戚や地縁などで閉塞的な関係性から一歩でてこない)、韓国人は成功し、それがいまのコリアンタウンの隆盛につながっているのではないか、という著者の指摘は興味深い。

 本書の最後に、フランス出身のコラムニスト、レジス・アルニー氏が、「教養も財力も高い東京圏の暮らしやすさは世界有数だが、文化発信力においてはソウルより影が薄くなりつつある」としている。他方で、アルニーは日本政府が文化発信の補助を、例えば日本のアニメについて行うことには懐疑的である。これも今日の高月氏の本のエントリーにもふれたが、確かに日本が国際的なメディアに登場する機会が(震災や原発を抜かせば)企業や産業への注目の低下として目立ってきているようだ。これはWSJエコノミストの海外版を検索すればすぐわかるだろう。

 対して本書の著者は、「国際競争力のある商品を民間が生みだし、その輸出を政府が支援しており、実際にその商品は国際的評価を受け、日本においても若者に受け入れられているわけである」として、ネットなどにある「K-POP人気は韓国政府の捏造だ」と攻撃する風潮をたしなめている。

 個人的には韓国のアイドルたちの海外進出の背景には、やはり本国での生活水準の低下があるように思われる(=相対的な日本の期待所得の上昇)。言い換えれば、海外への低廉な労働者の移動とみなしていい。

 例えば清野一治さんの「国際労働移動と国民経済厚生ー静学的影響ー」(『早稲田政治経済学雑誌』317号)を利用して、韓国のアイドルが日本のアイドル市場で活動した場合を簡単にみておこう。両国のアイドルたちに質の違いがないものと仮定する(実際には日本と韓国のアイドルの質は異なる可能性の方が大きいので以下の議論はその点を含めると変化する可能性がある)。また韓国のアイドルたちは日本のアイドル市場で雇用の点で日本のアイドルたちに比べて差別的な処遇をうけないとする。

 このとき、重要なポイントは、日本のアイドル市場の賃金構造である。いま日本のアイドル市場の賃金構造が硬直的であるとする。これは実際にそうなのかどうか実証しなくてはいけない。このとき日本では、賃金が硬直的なので国内のアイドル所得は不変である。例えばあるテレビ局が支払う出演料の総額が不変であるケースを想定する。韓国からアイドルたちが流入してくると、韓国アイドルたちはなんらかの雇用機会を得るだろう。これは同時に日本のアイドルたちの雇用機会を奪うことと同じである。そのために日本の経済厚生は悪化し、対して韓国の経済厚生は増加する。世界全体の経済厚生はどうか? 清野さんは、この日本のアイドル市場の賃金構造が硬直的ならば、世界全体(ここでは日本と韓国の二カ国の経済厚生を足すことと同じ)の経済厚生も低下する、すなわち日本が失うものが、韓国が得るものを上回るだろう、と指摘している。なのでこの場合、韓国そして日本双方のアイドルたちが自由に二国間を移動するのは望ましいとはいえなくなる。

 もちろん、では移動を禁止しろ、というのではない。問題は日本のアイドル市場の賃金構造が硬直的なことにある。アイドルたちを批判するのは間違いである。本当に硬直的かどうかは実証しなくてはいけない。もし仮に硬直的でなければ、つまり日本のアイドル市場の賃金が伸縮的なものであればあるほど、両国のアイドルたちの労働移動は、両国の経済厚生を高める。

 焦点のひとつは、実は日本のアイドルたちがどのような労働市場に直面しているのか、その解明ではないか、と思う。

新大久保とK-POP (マイコミ新書)

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