武者陵司『「失われた20年」の終わり』

 数日前にブログでとりあげた武者さんと若田部さんの対談で、この武者さんの本が積読であったのを思い出し読みました。副題に「地政学で診る日本経済」とあるように、米国が日本と中国に対してどのような地政学的観点から経済戦略を行い、それが日本の場合は円高トレンドを招き、日本経済を「失われた20年」に陥らせたか、また今度は標的を中国経済に照準をあてたのかが、書かれています。中国の場合は、ドルペッグの修正から変動為替相場制に完全移行させ元を切り上げる方向に政治的な圧力をかけている、それが中国の土地本位制(地方政府は土地の利用権からの収益で肥大化し、それを地方経済に循環させてもいる)の崩壊の引き金になる可能性がある、というのが今後の武者さんの読みです。

 日本についての解釈の基礎は、先日の若田部さんとの対談にもありましたが、バラッサ・サミュエルソン効果の武者版ですね。以下は武者版の解説です(僕は日本へのバラッサ・サミュエルソン効果の解釈は浜田宏一先生と岡田靖さんの方を支持しています)。

 「実は円高は、輸出企業以上に日本の内需企業を大きく痛めつけるというメカニズムを持っています。それは経済学の仮説である「バラッサ・サミュエルソン効果」によって説明できる。この効果は、世界の労働市場において、労働力において一物一価の法則が貫徹しているという前提の下での議論」40頁。

 貿易財部門(製造業など)の生産性が上昇⇒貿易財部門の賃金上昇⇒貿易財部門も非貿易財部門も賃金の平準化が成立⇒非貿易財部門(サービス産業)の賃金上昇

「生産性が上昇するセクターは、販売価格を引き上げなくても賃金を上げることができます。しかし、生産性が上がらない内需産業などは、輸出産業と同じように賃金を引き上げるためには、販売価格を上げなければなりません。つまり、サービス産業などの内需産業は、インフレをもたらすことで賃金を引き上げ、その賃金上昇は国内産業の成長をもたらすのです。つまり生産性上昇格差に相当する分だけインフレが生じるのです」42頁。

このときの「インフレ」は非貿易財の相対価格の上昇である。この相対価格の上昇は、国内消費をもりあげて、市場を活性化させ、全体的な物価上昇をもたらす。

ところが、武者さんによるとこの過程が、米国の「日本封じ込め」政策によって逆転する。つまり米国が日本に円高を強いているというわけです。

「ところが1990年以降、この流れが逆転します。為替のトレンドが円高へと転換したことによって、輸出産業で賃金の引き下げが起こったのです。輸出産業で賃金の引き下げが起こると、当然、内需産業でも賃金の引き下げが起こります。つまり超円高が賃金水準のトレンドを決めてきた輸出産業において賃金引下げを引き起こし、それが内需産業に波及したのです。賃金が低下した内需産業では今度は売値の引き下げ競争(デフレ競争)が起こります。輸出産業は、生産性上昇の余地があるので、賃金引下げを抑制できますが、内需型の企業は、生産性上昇の余地がないため、ひとたび売値引き上げ競争が起きると、ただちに賃金を引き下げざるをません。円高の進行はこうして労働賃金の引き下げの悪循環を引き起こし、特に生産性向上の余地のない内需産業、サービス産業を直撃したのです。その結果、日本の経済は大きく疲弊したのです」42-3頁。

このため、従来の雇用システムを前提にすると、生産性向上の余地がないために、内需産業は非正規雇用を増やすことで乗り切ろうとした。それが90年代からの非正規雇用の急増と、また「経済格差」の拡大である、というのが武者さんの見立てである。

他方で、日本の潜在的な成長力についても本書では、日本の比較優位を丁寧に解説している。先の若田部さんとの対談をあわせて読むと、本書ではまったく日本銀行がでてこないが、対談では円高の主因は日本の金融政策であることで両者は一致していた。米国の政治的圧力は80年代から90年代に存在したとする仮説(円高シンドローム仮説のマッキノン・大野版)があるが、現代では米国の圧力よりも、日本銀行が自らそのような円高デフレ政策を採用しているのだ。

細かいところは僕とは異なるが、本書は、菊池英博氏らのように輸出産業だけ栄える政策はダメという一面的な議論ではなく、日本の輸出産業と内需産業との関連を知ること、そこでのキーは財政政策ではなく、むしろ金融政策(その反転した姿である為替政策)であることが明瞭に解説されている点、さらに地政学的な興味をもつ読者(僕は1、2歩さがるが)には刺激的なものだろう。

「失われた20年」の終わり ―地政学で診る日本経済

「失われた20年」の終わり ―地政学で診る日本経済