京大などカンニング事件雑感

 上の岩田先生の『福澤諭吉に学ぶ思考の技術』を読まれてから、以下の議論を読んでもらいたい。Twitterでつぶやいたことを整除したもの。

Twitterより

 カンニング事件だけど、仮に各大学が警察に届け出を出さないで内部調査でカンニングの実態を調査したら、ふたつの可能性があるよね。カンニングが特定できたのと特定できない場合。カンニングは大概が「現行犯」として証拠保全などをするのがどの大学もやってるルールなので、事後的に掲示板の答えと解答が同じで「特定」できたとしても、試験の結果を取り消すのは不可能だよね。普通のルール通りだと。

 となると「特定」はできたが、それを理由に試験の合否判定を変えることを世間に公表することは難しい。なので特定できても特定できなくても、おそらく大学内部の事後調査で、合否判定自体の再評価をするのは著しく難しいよね。たぶん。簡単にいうと、カンニングを「現行犯」で特定し公にする以外の手段やルールを多くの大学はもってないんだよね。

 もちろん事後的に、カンニングを「特定」して、さらにそれを合否判定に反映させる手法もあるに違いない。どの大学も合否判定の会議があるからそこで「特定」を公に公開しないまま内部処理=不合格などの扱い、にしてしまうやり方が考えられる。でもこれも試験の成績を受験生に開示していると困難になる

 基本的に事後的なカンニング特定化とそれの公にした判定処理というツールをさっきも書いたけど大学はほとんどもってないし想定もほとんどしてない。今度の事件は、警察に事後の特定化とその処分をまかせたが、それ以外にも「カンニングを(公に処分可能な水準で)特定できない」と世間に公表することもありえた。もちろん特定することが可能な場合もあるだろうけど。

 問題は今後だよね。たぶん各大学は警察への外部委託をほとんど議論をつめることなく採用したように思える。いや、したのかもしれないけど、そのわりには動きが早すぎる。

 世論のプレッシャーを除けば(これが大学の秩序とかに与える影響はいまは仮定により度外視する)、事後的にカンニングをどう処理するかという問題でしかない。例えば、試験終了後、ある受験生が大学側に「隣の席の子がカンニングをしていた」と申告してきたとする。このケースと今回のケースは行為としては異ならない。では、このひとりの受験生の証言から各大学は警察にカンニング捜査を要請するだろうか?おそらくしないだろう。 

 で、この対応の違いはなんだろうか? それはさきほど仮定で[カッコにくくった「世間からのプレッシャー」への対応の違いでしかない。いいかえるとカンニング自体が大学の試験制度に与える損失が大きいからではない。では「世間からのプレッシャー」に対応するために、カンニングをやった人を警察にまかせすのが適切な政策の割り当てだったろうか? さきほども書いたが「世間からのプレッシャー」がないカンニング行為は今回と同じものでも警察にまかせることはないだろう。まさに岩田先生が自己責任論の文脈で指摘した問題と同じものが今回のカンニング事件の背景にもあると僕は思う。

 つまりカンニングへの対処ではなく(それは大学は現行犯という政策で対処してきたし、事後的にもかなりハードルは高いがなんらかの対処はとれたはず)、「世間からのプレッシャー」が問題なのであり、この問題への対応ならば、大学はほかの選択肢をとるべきではなかったろうか。

 ありていにいえば、「世間からのプレッシャー」を甘んじてうけいれ、現行犯でカンニングをみつけられなかったミスを反省し、世間に土下座でも広報周知でもすべきではなかったろうか。あるいは人間なんだから完全にカンニングを防ぐことはできないと言い切るものひとつの道だろう。と同時にすべての受験生に当該問題の配点について「保険金」ならぬ「保険点」を支払うことも考慮すべきだったろう。

 しかしそういうことをいくつかの大学(特に京都大学)はしなかった。つまり大学の責任がうやむやになる一方で、カンニングをした学生の自己責任の範疇が「世論からのプレッシャー」によって拡大されあいまいにされてしまい、不当なほどの責任をおわせることに繋がっている。

 市場(大学)には「世間からのプレッシャー」問題に対処できるいくつものツールがあるのではないだろうか? それにまともに向き合うこともせずに、本来負わなくてもすむ(あるいは負わせるならば今後すべてのカンニング学生が負うことなる)「責任」をしょわせてしまう、その態度は、まあ、率直にいってひどいように思う。