河合幹雄「マンガ表現の規制強化を問う」

 めったに読まない、というかしばしば呆れてる雑誌筆頭『世界』。しかし今号は違うw。クルーグマンの論説の翻訳があったり、木村剛についてのルポもあり読ませる。ここでは河合幹雄氏のマンガ規制についての論説を紹介。

 ご存じのように本日、都議会の総務委員会はマンガ規制条例案を可決した。本会議でも可決するのだろう。スキルの不足する議員たち(いったい何人が政策策定能力があるのだろうか?)、官僚のリークによる政策過程の空洞化、都の恣意性の強いガバナンス、一部の「識者」の「私物化」となっている各種委員会や行事の在り方、またマンガ規制自体の実証的根拠のなさと、それを支える主張の反対賛成を超えたあまりに感情的な表出など、まさにこの都条例問題は、僕からみると日本銀行問題の別様の縮図でしかない。

 いまあげたほぼすべての論点を河合氏は彼独自の視点からまとめていてとても有益だ。

 まず冒頭で、6月の否決を促した条例反対運動の特徴がまとめられている。それは従来のマンガ家や既得権者たちだけではない広範なネット中心の運動というものである(ただし人数的にはやはりマイノリティの運動であることが僕には重要なものに思える)。

 河合氏は、今回の規制強化にはふたつの特徴があるという。

ひとつは、2000年ごろからの乱暴な規制行政の在り方、もうひとつは特定の人物たちによる規制強化の在り方である。

 いままでは警察の検挙の仕方や有害指定の在り方も、歯止めをはかりながらも業界への経済的ダメージを避ける巧妙さがあったが、今回の三月の条例案は、なにもかもすべてやってしまえ、という乱暴なものであった。

 第二点は、簡単にいうと、国レベルでも都レベルでも、前田雅英氏と後藤啓二氏の関与が大きいという指摘である。

 「このように雑な法案作りがなされるようになった要因は何か。そこには、前田らによって、日本で少年犯罪が増加し、しかも凶悪化しているというイメージが広げられたことがベースにある」と河合は指摘する。

 このイメージの拡大は政府や関係機関が行う世論調査が恣意的なもの(=誘導的なもの)となることで、世論がますますミスリードされていったと河合は指摘する。例えば、「「実在しない子どもの性行為などを描いたマンガや絵の規制について」「規制対象とすべき」ですか? と口頭で尋ねられれば、「ハイ」と答えるのは当たり前である」という。そうだろう。アンケートの主題自体があらかじめ多数がなんであるか指示している。そんな世論調査はかなり多い。

 また前田の少年犯罪の理解の問題点は深刻であり、「刑事政策の歪みの元凶」であるという。前田の著作『少年犯罪』などへの批判は、河合氏も含めて、他には宮崎哲弥氏も従来から何度も批判を繰り返している。

 河合は、前田が多数の諮問機関の委員、有識者の委員会、東京都、警察の関係組織での委員等あまりにも多数の役職を引き受けている問題も指摘している。ただここらへんは多数を兼務しているというだけではなかなか合理的な批判は難しい。実際には前田の兼務の多数ではなく、多数もっていてもやれるような中味のない委員会や諮問機関が多すぎるのである。

 河合は警察のかかわりもふれている。特に12月条例がもし可決されれば、その適用は警察のさじ加減の余地の拡大を招く。例えば条例改正案には、「漫画、アニメーションその他の画像で、刑罰法規に触れる性行為」(7条の2)がある。これは刑罰法規には、刑法典だけでなく条例も含まれる。淫行条例まで含み、「しかがって、高校生同士の合意に基づく性行為さえ対象とされ、中高生を主人公にした漫画の場合、性体験を肯定的に描くと規制対象となる恐れがある。これでは作品が委縮してしまう」。

 基本的に、河合氏の論説はなぜ現状の規制にさらに規制を重ねるか、その実証的な根拠がなく、規制派がイメージだけで規制をするように運動していることを問題視している。僕も賛成である。規制する合理的な根拠が不在であり、それを真剣に討議することもせずに、知事や副知事らはあたかも書店でポルノ漫画が大氾濫し、それが青少年に「有害」であることを印象づけている。その合理的な根拠をみせることなく、何度も彼らはアジテーションを繰り返しイメージ操作するだけである。醜いものである。

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