ミネルヴァ・モデルと日本サブカルチャーの一面

 テイラー・コウェンの「ミネルヴァ・モデル」という見解がある。これはヘーゲルの「ミネルヴァの梟は黄昏に飛ぶ」に由来する。簡単にいうと文化の盛衰をみる見解。例えば大きな文化と小さな文化が接触する(大小はとりあえず経済規模で測る)。するとこの「国際貿易」は当初、文化の一時的な繁栄を生む。

ところが繁栄の中にすでに衰退の芽が宿る。「国際貿易」以前に存在した小さな文化のもった独自性、エートスは次第に、大きな文化に気に入られるようなものに「堕落」し「金銭化」されていく。しかしコウェンはこの過程を否定的なものとしてはみない

文化間の接触と、一時的な反映、長期的な小さい文化の衰退(=大きな文化への吸収過程)といったダイナミズムこそ、既存の多くの文化を生み出した過程そのものであり、それを否定するのは間違いだ、という見解だ。

いま書いたコウェンの「ミネルヴァモデル」を例えば日本的なロリコン文化と、海外の嗜好・文化との接触から考えると興味深い。例えば今回の東京都や国のロリコン規制とでも総称すべき動きは、ある種、外圧(文化との接触)ともみなせる。ただしその外圧が自由の選択拡大ではなく選択の制約になっている

日本のロリコン文化という表記が嫌な人もいるだろうから、以下、日本の<美少女>文化、とも補足しておこう。
 
コウェンのミネルヴァモデルを援用すれば、確かに日本のロリコン文化(<美少女>文化)は、一時的に盛り上がっている。海外から注目を浴びているという自意識の高まりもあるだろう。しかし長期的には、海外の嗜好に合わせることで次第に日本のロリコン文化も変容していくのかもしれない
 
この海外の嗜好に合わせるときに経路はふたつある。ひとつは市場を経由してのもの。ひとつは、先ほどの東京都の条例のような規制によるもの。このふたつの経路はおそらく異なる文化が接触した後の長期的な文化の姿をまったく異なるものにするだろう。

 ちなみに東京都の条例がそもそもオリンピック誘致前後でそのロリコン規制への機運が高まったこと、しばしば猪瀬副知事が「キリスト教云々」とい発言していることからも、この条例の背後には、異なる文化の接触がその条例の契機になったことを示唆している。

Modern Principles: Microeconomics

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