速水健朗さんのTwitter経由で知り購入。この対談の構成も速水さん。僕はこの富田克也氏の作品はまったく知らなかった。話題の中心は富田氏の新作の『サウダーヂ』。『サイゾー』にある作品紹介だと「甲府の町で土方で働く猛は、ヒップホップグループ『アーミービレッジ』のクルー。寂れゆく街を前に、外国人への敵視を強めていく彼はある時、日系ブラジル人が率いるヒップホップグループの存在を知る。やがてふたつのグループの抗争は最高潮を迎え……」というもの。
この対談から抜粋
富田 さっきの男の子が住んでる団地は、8割が外国人ですね。ブラジル、ペルー、フィリッピン、タイ人。自治会長がブラジル人。彼は『サウダーヂ』にも出てもらっています。収入に応じて家賃が決まるらしいんですよね
ーー『サウダーヂ』で扱う主題のひとつに、ヒップホップチーム同士の多国籍なヒップホップバトルがありますよね。実際はこうした対立はあるんですか?
富田 むしろ、彼らと地元の日本人の間には、一切関わりがないんです。関わりがないかた対立もない。でも、これからそういう状況が生まれてくるだろうという近い未来を描きたかったんです
富田氏が「一切関わりがない」といっているが、これもそれはそうかもしれないが、そもそも日本社会全体が、人と人との縁が薄い社会になっているのであり、ある特定のコミュニティが周辺のコミュニティと関わりをもたないことが、特異な状況といえるかどうかわからない。おそらくちょっとした嗜好の違いでさえも隔絶したコミュニティの分布を生みだすことができるのではないだろうか。ただバトルとはいえないが、隠避な摩擦はあるだろう。それは日本の社会が異分子に対してみせる伝統的な反応のひとつであり、おそらく外国人に対してだけではなくいたることろで観察できる現象かもしれない。
むしろ孤立したコミュニティが抱えるだろう、社会資本整備の提供、教育や就業にかかわる機会の提供、さまざまな福祉サービスの提供などが欠落していく状態があるのかないのか、それが僕は気になる。特に、リーマンショック以後、この座談会のテーマになっている「郊外のグローバル化」という現象はかなり急ブレーキがかかっている。むしろいま日本の郊外でおきているのは、「郊外のグローバル化の大停滞」あるいは「郊外のグローバル化の再ローカル化」とでもいえる現象ではないだろうか?
例えば群馬の外国人比率の高い市町村でも2年連続してその人口が急激に減少している。そのため教育機関の運営難、就業環境の悪化などがしばしば報道されている。また豊橋市などトヨタの下請け企業が多く集積し、そこで働くブラジル人をはじめとする外国人の人口増加もゼロ年代の前半は27%もの増加だったが、いまはこの5年間で5%あるかないかの増加率に落ち込んでいる。縮小していくコミュニティが先の社会的インフラをうまくコミュニティ内外で提供し続けることができるのかといえば、自律的には困難だろう。
デフレ不況という社会的リソースの大きさが縮小していく社会で、そのリソースの配分がきつくなり、その限界では摩擦や対立が生じやすくなるのは容易に想像がつく。
ちなみに郊外の主要道路沿いにはよくパチンコ屋の廃墟が目につく。ラブホテルなどもしばしば廃墟化している。後者はわりと再生されているが、前者は、この両者の対談でふれられているように、まったく転用・転売されることもなく、いたることろで放置されていて奇妙な情景を展じている。