国立メディア芸術総合センターについて雑感

 「国立マンガ喫茶」といわれる問題である。例えば小田切博さんが以下で

国立メディア芸術総合センター」に関する混乱
http://wiredvision.jp/blog/odagiri/200906/200906231300.html

簡単にいうと文部科学省なり文化庁なりが日本独自のカテゴリーで「メディア芸術」をでっちあげ、その中味には大衆芸術(マンガとかアニメ)、現代美術の一分野、コンテンツ産業促進など、要するに官僚にありがちなさまざまなものがパッケージになってしまい、それを保護・促進する上でこの「国立マンガ喫茶」が政策対応として適当だかどうかすらも判断できない混乱がある、という指摘である。

要するにいろんな思惑があり、それを曖昧にしたまま予算だけついたわけだ。これは政策目的と政策手段が不整合という「政策割り当て」というもう一歩すすんだ議論の以前の問題であり、はなはだ幼稚な議論の段階でなぜかお金がついてしまうこの日本の摩訶不思議な現象といえる。さすがに批判に耐えられず、中味の検討をするようだが、それは正直にいえばただのその場かぎりの言い逃れでしかないだろう。

面白いのはその「中味」がはっきりしていないのに、この報告書をみると建築物の必要面積やその建築物の概要もすでに構想されていることだ。どんなものに資するのかわからないのに建築物の機能が決まるわけはないと思うのだが、この報告書に参画した人たちはそう思わないようである。

ところで年間入場者数も予測値がでているが、これも「中味」の議論によっては当然に変化するだろう。いまは小田切論説に指摘されているように、多様な目的がごっちゃになっていて、目的のインフレ状態である。特定の目的にしぼれば、当然に専門性が増すことで入場者数も減少するだろう。ひとつにはこういう多様な目的をいれたのも来場者の人数を底上げする目的があるのかもしれない。

さてこの施設は入場料収入などで自己ファイナンスすること、外部委託などが前提に設計されているらしい。報道では、成功例として京都国際ミュージアムがあげられていることが多い。

ここでは失敗例ともいえる国際児童文学館と今回の案を比較してみよう。

http://www.bunka.go.jp/bunkashingikai/kondankaitou/madiageijutsu/
pdf/houkokusho_H210428.pdf

これによると「国立マンガ喫茶」の方は、年間来場者総数予測が60万人。そしてその収入が1億5千万円だそうである。しかもこの報告では収入予測は書いてあるのだが、支出についてはまったくふれられていない。要するに欧米スタンダードな費用便益分析を拒否しているのである。希望観測的な収入面だけ強調し、相変わらずコスト管理に無頓着なこのやり口には官僚的という修辞だけではすまない気がする。

さて細かい検討は後日の課題にして、ここではおおざっぱに国際児童文学館と比較してみよう。

http://www.iiclo.or.jp/m2_outline/02_business/pdf/h20_yosan.pdf

同館は入場料収入がないので大阪府からの補助金がほぼ1億8千万円、それに対して支出が(職員給与など管理費のウェイトが大きく)やはりほぼ1億8千万でトントンとなっている。

施設の規模で比較すると、国立マンガ喫茶は1万平米、国際児童はそのおよそ3分の1にもみたない3000平米ほど。職員数も常勤が国際児童文学館は10名。もし上記の異なる分野(マンガだけではなくさまざまなメディアを専門にするならば)を3つに絞っても30名は必要ではないか?すると管理費もそれに応じて増額し、仮に3倍かかるとして(国際児童の20年度支出からみつくろって)3億数千万円。おおまけにまけて半分にしてもこの管理費だけで入場者収入の予測値とトントンになる。当然、国から委託されるわけだから、委託費、あるいは敷地・施設の使用料・賃貸料などが別途かかる。これはかなりこれも非現実的だが、国際児童の方と同額としても年間5千万ほどかかるだろう。いいかえるとそれだけ毎年赤字が発生する。

ところで「成功例」とメディアで喧伝された京都の場合でもhttp://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/m20090629021.html
2年で50万人、1年で単純に割ると25万人である。60万人を想定するとなるとかなりの成功事例となる。もちろんここで文化庁文科省側は、「マンガやアニメだけではない(だからもっと来る)」と主張するかもしれない。それは小田切論説の話に戻るばからしい方便でしかない。