『ウォッチメン』バブルの次はメビウスバブル

 メビウスが日本に来ていろんなところで講演とかするらしい。関東圏だと明治大学で行うらしいが、かなり宣伝されているので、収容人数が1000人超でも入りきれるかどうかおそらくわからないだろう。

 ところでメビウスでひとつ疑問なのは、多くの人にとってメビウスとは何だろうか? という素朴な感想である。僕の周囲をみても興奮している人がかなりいる。しかし僕は興奮とは無縁なわけである。

 少なくとも(実は最近かなり読んでいるのでそれ以前ということにしておくが)つい数か月前までは、どう読んでも失敗作の『イカル』の原作者、あまり面白くないアニメ「アルザック・ラプソディ」の制作・原作者、若い時みてみなければよかったと思った駄作「トロン」の関係者、原書でしかみてないがたったひとつの翻訳といえる『アンカル』(1巻のみ。絶版)の作者というのが、彼の関与が強い作品の日本への紹介状況の過半だろう。

 これは最近、疑問をはさんだアラン・ムーアの日本における紹介状況と比較すると、ほぼメビウス「作品」そのものが日本の一般読者に与えた影響はゼロに等しい。

 ところがメビウスが日本で影響を大きくもったという「神話」の源泉は、日本のアニメやマンガ家、そしてクリエイターたちへの影響ということになる。これがメビウス神話を増幅させる原因であり、日本でのメビウスの意義を考えると(彼の「作品」の一般読者への消費状況がほぼゼロに等しいことを考えると)この方面での評価が決定的といえる。

 日本の作家たちへの影響関係は、このすぐれたサイトのリンク先を読むとわかる。http://moebius.exblog.jp/

 いいかたを変えると、実作としてのメビウスがさほど突出して面白いとも消費されているともいえない日本の状況の中での、メビウス評価は、デザイン的なものへの関心(これは一般の消費者もかなり享受している可能性はある)、なによりも宮崎駿大友克洋などの日本の人気作家たちへの愛好のスピンオフにしかすぎない。宮崎や大友らの作品の熱狂の裏返しとして、たぶん僕には無節操に思えるメビウスバブルの形成があるんだろう。

 そもそも今回、シンポをする司会者や(興奮を伝えるプロやその周辺のセミプロな批評家連を中核とする)参加者でフランス語を基本レベル以上に読めたりする人は何人いるんだろうか? まじめにいって相当難しいフランス語を読むはめになるんだけど、メビウスの作品を本当に読むと……。

 招いている側もろくな問題意識もいままでの研究の蓄積(なかにはフランス語もわからない人もいるけど)もな〜んもない中で、大学とか公共機関の経営戦略にのせられて「メビウスキター!」とかやるのがいまの日本の批評界とかクロウト??すじの流れみたいなんだけど、あほらしいので僕はのれない。

(補遺)いまmixiのコミュみて結構そっくりかえったが、京都の方でシンポやるらしい竹熊さんや津堅氏とかが「1970年代前半と思われるが、日本で最初にメビウスを紹介した某雑誌があるそうで、その某雑誌のメビウス特集で、米澤嘉博さん、そしてたぶん大友克洋さんらも、メビウスという作家の存在を知ったらしい」ということの真偽を検証しているらしい。真偽の検証は素晴らしい。でも、メビウスとしての本格的な活動(日本の作家たちに特に影響を与えたといわれる『アルザック』が75年から)が70年代真ん中以降からであるのをググって(笑)いるだけでも、この発言の前提がおかしいことに気がつくはず。もっともすごい先見の明がある人がいて74年とかに特集を組んでいたらそれはそれで画期的でしょうけどw

 しかしフランス語を基本レベル以上に読めないのは置いといても、こんな基本知識がなくても司会やシンポ開催できるのかあ。ある意味新鮮な驚き 笑

http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-ceb0.html 「ヤバイっす」じゃなく単にやばい。