赤松要論へのコメント(改訂)

 本日はこれから研究会に参加。そのコメントを以下にコピペ。


コメント

大槻忠史「赤松要の世界経済構造の変動理論をめぐってー名古屋高等商業学校における研究のはじまりとその展開」(『言語・地域文化研究第14号』


本稿は、日本の「雁行形態論」で著名な赤松要の産業調査室(名古屋高等商業高校)での研究活動の成果に着眼し、世界経済の構造変動理論の内実を説明しようとしたもの。実証的な資料の読み込みを通じて、赤松要の経済学のもつ豊かさを明らかにした点は高く評価できる。

本稿の成果は以下の三点

1 産業調査室の研究活動に注目したことで、戦前の日本における経済分野での研究機関の活動を再評価したことは、先駆的な意義をもつ。
2 産業調査室での実証分析(羊毛工業、綿工業の歴史的研究)から、赤松要が世界経済の異質化から同質化に移行する構造的な変動理論をどのようにして導き出したのかが、明示されている。
3 赤松の世界経済構造変化論のうち、理論的に説明不十分な側面(「同質性のゆえに相反発する集団」としての世界経済のあり方)を、「戦争」の役割に注目することで、赤松説のより明瞭な解釈を目指した。

いくつか論文に関してコメント

① 「1.問題の所在」が長すぎて本論文の狙いがよくわからなくなっている。産業調査室の制度的な役割を評価することと、赤松理論の意義を再考するというふたつの観点を統一的に行うことを意図しているが、やはり制度分析と理論的な評価は別々のテーマとして取り組んだほうが論文のテーマもより鮮明になったように思える。

② 「2.高等教育の拡充と「名古屋高等商業学校」の創設」は章として設ける必要はあるのか? 本論文は戦前の調査機関としての産業調査室の活動に注目することが目的のひとつ。名古屋高商の教育活動の詳細な説明は冗長であり不用ともいえる。この章は刈り込むことができたであろう。またこの章での説明が以下の所論であまり活かされてないことからも短くすべきだった。第3章の冒頭部分に第2章の内容を短くまとめて入れ込み、第3章の3.1自体を現状の内容よりもより短いものに合わせて修正したらどうだろうか?

③ 赤松が理論と実際の融合を図る場所(「第三の窓」)とし、ハーヴァード大学商業研究所を範にするなどで、産業調査室を評価していたことはわかった。ところでなぜ「第三の窓」と順番が振ってあるのだろうか。赤松の方法論的な視座である総合弁証法に基づいていると思われるが、その説明を簡単にすべきではないだろうか。

 (補足)本論文と前後して公刊された池尾愛子『赤松要』(日本経済評論社、2008年2月)では、この「第三の窓」を、カール・ポパーの「世界1,2,3」論を利用して説明している。池尾は図書館を「世界1」=物理的実在、「世界3」=推論などの抽象的なもの、の両方に属するとしているが、先行(?)研究としてこの解釈をどう評価するか? 
「第一の窓」はwertの世界であり(=既存理論の集積)、「第二の窓」はseinの世界(既存事実の集積)であり、それを綜合する「第三の窓」とは理論に立脚した上での実証分析(過去の理論や事実の集積の上に立った新しい理論を新しい事実の発見として開示する場ともいえる)の世界である、と私なら解釈するが。

④ 上記でも少しふれたが、赤松の経済学は理論もその研究活動も「総合弁証法」に基づいて展開されているようだ。この総合弁証法の解明自体がひとつの大きなテーマであるが、本論文では注30で簡単に整理されている。大槻氏の解釈では、総合弁証法は3つの基本原理(矛盾性原理、同一性原理、全体性原理)として説明されている。この説明を「第三の窓」や、世界経済構造の変動理論とどう結びつけて解釈すべきなのだろうか? 後者について、本論文でも「赤松は世界構造の異質化と同質化を総合弁証法に則り説明していくのである」と説明されているが、論文の中では必ずしも総合弁証法との関連がはっきりしない。

⑤ 赤松の世界経済の構造変動理論(雁行形態論はこの一部?)の位置づけについて

 農業的生産に依存する経済―「直観経済」
 商工業を基調とする経済―「概念経済」

 両経済の「異質化」を国際分業ととらえて、それが資本蓄積の増大から、「比較生産費学説の説くような国際分業を否定すると共に、農業国及び工業国の同質化の傾向」を生み出す。この同質化によって、利潤低下と失業に到る、とされている。

赤松要の雁行形態論の現代風解釈には多様なものがある(池尾(2008)参照)。ここでは池尾(2008)がふれていないこと、また従来の標準的な国際貿易理論との接続が見やすいことなどから、高増明・野口旭(1997)、野口旭(2007)の業績の存在を指摘しておく。
 野口らの説明では、大槻の解釈とは異なり、従来の比較優位説(その現代版のヘクシャー・オリーン(HO)モデル)を基準にして、赤松の雁行形態論は説明できてしまう。

野口らの説明は以下である。

 雁行形態論は、一国の産業の盛衰パターンを描いたものである。新製品が国内市場に登場、国内生産は開始されず技術導入の時代+外国からの同製品の輸入増加 → 国内市場拡大、国内生産開始、国内生産>国内需要になる段階で、輸出増加 →  国内需要は鈍化、輸出拡大での国内生産増加 → 後発国との競合で輸出成長率鈍化、国内生産減少 → 海外製品の国内輸入が増加、国内生産の顕著な減少 という一連のシナリオとして記述されている。

このような赤松の説明は、HOモデルの特徴である各国における(1)生産要素の存在量比率、(2)各国の要素集約性という概念によって簡単に説明できる。

HOモデルから導き出されるHO定理があるが、それは「各国は、相対的に自国に豊富に存在する生産要素を集約的に使用する財に比較優位を持つ」(高増・野口(1997)59頁)とまとめることができる。このHO定理は、いわば赤松の世界経済の「異質化」=国際分業そのものの説明であろう。

 赤松はこの「異質化」から「同質化」への一プロセスとして雁行形態論(産業の構造的調整)を説明した。これをHOモデルの枠組みでは、(1)生産要素の存在量比率、(2)各国の要素集約性のそれぞれの変化として説明できる。

 例えば、開発途上国のほとんどは当初、労働が豊富。ゆえに繊維産業などの労働集約的な産業に比較優位をもつ。ところでそのうち資本の蓄積がすすみ資本豊富国になる(=要素賦存比率の変化という)、すると今度は資本集約的な産業が比較優位をもつ、従来の労働集約的な産業は衰退産業になる……。

 またハイテク産業に顕著なように、その産業の技術的な特性も変化する(=要素集約性の変化)。例えばハイテク製品などの成熟段階では標準化、モジュール化、生産工程の分割化などの生産コストの削減などを想起されたい。それまでその財の技術について豊富な蓄積のあった国(日本やアメリカ)がその財に比較優位をもっていても、成熟化の進展によって標準化・モジュール化によりコスト削減に関心が移り、このことが非熟練労働の集約性を高めて、生産工程の一部がアジアに移転することがある。これも赤松の雁行形態論の説明を補っている。

以上は、田中の理解でもあるが、それを踏まえた上で、本論文ではあまりよく理解できない箇所がある。産業の衰退化は上記のように産業の比較劣位化として説明される。しかし、本論文では、赤松の発言をベースにして、このような衰退産業化が、「同時に過剰生産と恐慌を招く」(論文94ページ)とされている。なぜ過剰生産と恐慌を招くのだろうか? そのロジックを説明してほしい。

⑥ 赤松の構造変化説がHOモデルで説明できてしまうと、本論文のような戦争説による構造変化説の説明がよくわからなくなってしまう。世界経済が異質化から同質化にむかうときに、戦争が必然的に伴うという意味なのだろうか? 例えば本論文では、赤松の発言をベースにして、以下のように解釈されている。

「赤松は、「異質化」と「同質化」という概念を用い世界産業構造の変動を実証的に分析した。そこでは、戦争が主な要因となって世界経済の異質化と同質化の交替がおこり、これがまさに長期波動を描き出していた」(大槻96頁)。

 世界経済の異質化そのものは、HO定理を意味していた。また雁行形態論(世界経済の構造変化)は、HOモデルの(1)生産要素の存在量比率、(2)各国の要素集約性のそれぞれの変化によって説明できるだろう。

では同質化そのものとはなんだろうか? HOモデルから類推可能な「同質化」の説明としては、要素価格均等化定理がある。要素価格均等化定理とは、高増・野口によれば、「貿易によって両国の要素価格(賃金率・利子率)は完全に均等化する」というものである。もちろんこの場合の「同質化」には、戦争は不要である。貿易制限のない自由化によって「異質化」から「同質化」への説明ができてしまう。

 赤松の戦争を伴う構造変化論の現代的意義とはではなんだろうか? 評者にはよく理解できなかった。

いままでの議論を整理すると

国際分業の成立 異質化 HO定理 総合弁証法
国際分業の構造的変化 異質化から同質化へ(雁行形態論) 生産要素の存在量比率・各国の要素集約性の変化 総合弁証法
国際分業の終焉(=戦争?) 同質化               要素価格均等化定理 総合弁証法

参考文献
池尾愛子(2008)『赤松要』日本経済評論社
高増明・野口旭(1997)『国際経済学』ナカニシヤ出版
野口旭(2008)『グローバル経済を学ぶ』ちくま新書


国際経済学―理論と現実

国際経済学―理論と現実