カプランのソ連型共産主義論

 アレックス・タバロック 「サミュエルソンの過ち 〜ソビエト経済の将来に関する度重なる予測の誤り〜」というブログエントリーを読んで、そこにリンクされていたブライアン・カプランのソ連型共産主義の経済的側面についての解説を読んだ。

 なぜソ連共産主義経済が破綻したのかを、主にふたつの側面に絞って明らかにしている。

1)ソ連は1930年代に「産業化」を進めていったとするが、その内実は軍事産業化にすぎない。同時に農業部門の生産性は極端に低下した。富農たち(生産性の高い農業者たち)をシベリア強制収容所に送るなどした結果、農業部門に残った国営の労働者たちには生産意欲がほとんどなかった。生産量が低下するなかで、中央からは計画的な割り当てがきた。そのため食料不足が深刻になった。また消費を抑制し、資源を優先的に鉄鋼や石炭部門に配分したが、それは先進国でみられる工業部門の自律的な発展ではなく、軍事部門の拡大に割り振られいた。この消費抑圧での不足経済はソ連経済の持続的特徴。

 カプランはこのことを以下のように生産可能性フロンティアを描くことで説明。上図では先進国経済、下図ではソ連経済。先進国経済では農業部門の生産性の改善(技術革新など)で生産可能性フロンティア自体が右側に拡大する。つまり所与の資源と技術で生み出される財・サービスの総量が拡大。この中で先進国経済では「産業化」(以前の状態よりもより多くの工業製品の生産を生み出すこと)が行われていた。対してソ連では、農業部門の生産性が低下することで生産可能性フロンティアがむしろ内向きに縮小。この中で前述のようなソ連的な産業化=事実上の軍事産業化が進展した。

2)しかしこの1)の特徴に加えてカプランが重視したのは、ソ連経済を支えていたのは、共産党による「テロ」「暴力」である。このことを特に意識していたのがレーニンである。レーニンは大衆の確固たる支持が生じるまで党による恐怖が必要だと考えていた。この1)のようなソ連型経済が維持されるための「暴力」を事実上放棄したゴルバチョフ政権以降、急速にソ連とその社会主義経済圏が維持できなくなったのは、レーニンの「予測」をある意味で実証したことになる。つまりソ連経済は、経済的なインセンティブの歪みを、恐怖のインセンティブによって補うことで維持されていた体制ということだろう。