12月1日の経済学史学会エントリーへの一会員さんのコメント。おおよその趣旨は「報告の途中から来たものは質問すると、最初から出席して質問用意してきた人には不愉快」というものでした。ちなみに「最初から出席して質問用意してきた人」がご本人なのかどうか不明ですが。あと僕のそれへの応答も読んでおいてください。
ここをご覧の休日でも1000人を超える方々のほとんどが興味のない話題だろうとは思いますが 笑、当日の雰囲気というのを主観先行で書きますが、当日の提起されたテーマのひとつ「経済学史研究は現代に意義があるか(役にたつのか)」という設定をしておいてそれなりのリアクションを予想していただろうに、それにはっきりと僕は「あると考えること自体がなんの証拠にも支持されてない既得権」「経済理論家に経済学史家がビジョンを提供できると思うことも既得権」といったことで、たぶんこのコメントを中心にして議論の時間の多くがさまざまな人が参加することで割かれたのは事実でした。もし僕の質問がくだらない質問ならば参加者は無視すればいいだけですが、そうはならなかったということだと思います。なお「既得権」ではなく私たちの新刊同様に「既得観念」といえばより適切だったといまは思ってますが*1。
この「一学会員」のコメントを読んで素朴に思うのですが、経済学史学会もだいぶ度量を失いましたね。発言の中身よりも出席時間の問題ですから(例えばうすぼけた記憶ですが、僕とは反対に自分の質問がおわるとあとの議論には参加せずに帰られた方もいたはずですが、この逆ヴァージョンも「規制」の対象になるのかしら?)ばからしい話です。
ここからが本題のようなものですが、かっての経済学史学会にはわざわざ「経済学史は現代的意義をもつか」などといわなくても同時代の併走者が何人もいたわけです。その中の代表格のひとり大熊信行氏は、経済学史学会の学会報告のときに、その報告者の前にどかっと陣取り、その報告中に風呂敷から真っ赤なリンゴをとりだしてがぶがぶたべはじめ、そのあとにその報告者の報告に批判をなげかけた、ということです。その報告者の方から直接何度もお聞きした話ですが(そのうちその報告者の方の評伝も書くのでそのために)、その報告者の方は「ああ、大熊さんがリンゴをたべることで報告者を威嚇していて、学会というのはこういう食うか食われるかの場所なんだ ということをいいたいのだろう」と解釈したそうです。もちろん、ただお腹がすいてた可能性も排除できませんが 笑 それにしても面白いエピソードです*2。
この「一会員」のなにげないコメントをみると、もう経済学史学会には同時代の併走は求めることができず(もちろん理論にビジョンを与えるという壮大な「妄想」の実現もできないまま)ただ単に礼儀作法取得の場になるのでしょうか? そんなことはないと期待してみたいところではありますが。
というわけでますます「過去の経済学者の意見の誤用が経済理論に深刻な歪みをもたらすか」というテーマで書きたくなっている自分がいますが 笑。なぜなら専門的には僕も経済学史なので、その人たちが異常に関心をもつテーマであることが今日もあらためてわかったからです。これは収穫でしょう。
*1:なお『経済政策形成の研究』にはなぜか省かれてしまいましたが、そもそもこの本ができた由来とは、経済学史学会でやった「経済学史は経済政策研究に役に立つか」http://society.cpm.ehime-u.ac.jp/shet/conference/69th/conference69j.pdfがもともとの由来でした。ただフォーラムは田中と中村宗悦さんが組織しましたが、本の方は野口旭さんが編著であり、経済学史学会にこだわるよりも広い世界を相手にしたいのでそこらへんの経緯を私なんかも特に明記してなくても気にしなかったのですが、ナローな関心の人=一会員にこだわるような人むけ、にはこういった注記も必要だったのではないか、といまは思ってますが
*2:「一会員」の主張ならば、報告会中はリンゴを齧るは禁止、という規制対象にもちろんなるでしょう