先週の経済学史学会関東部会で報告した。ほぼ10年ぶりの部会報告(本大会では『経済政策形成の研究』に結実するフォーラムを主宰したのが直近の体験)だったと思うが、参加者の面子もこの10年でかなり変化していて、諸先輩方をあまりみかけなくなった。世代交代が静かに進行しているのだろう。
今回の報告は僕自身の報告の一部分が日本ピグーの導入史とでもいうべき側面になっていたので、他の報告がピグー二本であったため、さながらピグー大会の様相を呈していた。僕自身はピグーそのものの研究者ではないし、せいぜい翻訳で何冊か読んでいるだけだ。ただ今回、出席して最も大きな収穫は、まだ読んでいなかった『回想の都留重人』(勁草書房)に収録されていた鈴村興太郎氏の「厚生経済学の実践者、都留重人」という論説がとても面白そうだということだった。
僕自身は都留重人氏については、『経済政策を歴史に学ぶ』(ソフトバンク新書)に少し書いたことがある。都留の最初の著作『米国の政治と経済政策』(1944)を中心に、ニューディール政策についての都留の評価をめぐるものを書いている。
さて鈴村氏の論説はピグーの厚生経済学の「難題」と、都留氏の福祉の経済学の「難題」を連結して考察しているものである。都留氏の見解については省略して、ここではピグーについての鈴村氏の見解を少し整理・引用しておきたい。
ピグーは、「社会的厚生」のうち、貨幣的尺度と関連づけられる部分を「経済的厚生」とした。ただ『厚生経済学』の末尾近くで、「現在ではベーシックニーズと呼ばれる非市場的福祉要因の重要性を承認して、≪最低生活水準≫という概念を彼の厚生経済学に導入していた。ピグーによれば、最低生活水準とは主観的な最低満足ではなく、客観的な最低条件と考えるべき概念であって、そのなかには「家屋の設備、医療、教育、食物、閑暇、労働遂行の場所における衛生と安全の装置等のある一定の量と質」が含まれていた」(鈴村、108頁)。
ところが鈴村によれば、このようなピグーの方向には、「難問」があった。ピグーの功利主義的な基礎にたつ厚生経済学(いまでいう旧厚生経済学)と、非厚生主義的なベーシック・ニーズをいかに整合的に考えるか、それが「難問」であった。
手前味噌で恐縮だが、僕のテーマのひとつもこの「泥臭い」(鈴村)テーマである、非厚生主義的(≒非市場的)なベーシックニーズと、現代風な厚生主義とをどのように統合的に考えるかに関心がある。すでに10数年前からそれを福田徳三の業績で検証し、今回の関東大震災論文もいわばその延長にある。
ところで『回想の都留重人』には、他に西沢保先生が「“No Wealth But Life”―マーシャル、ラスキン、都留重人」という論説を寄稿しているのを見つけた。これは鈴村氏の上記論説をすでに踏まえて書かれている。そこでは小泉信三のピグー解釈が出てきている。僕の今回の報告は小泉が社会的厚生をあまりに「物」の側にこだわっていることを、福田が「人」の側に立つように求め、小泉が反省するという流れで書かれている。しかし部会で佐藤方宣会員のコメントや、またこの西沢論説にも触れられているが、小泉の中にすでに「物」中心ではない人間中心の厚生もしくは福祉の見方が、福田の批判以前に明示されているというものである。これはピグーでいえば、経済的厚生(物の世界)と非厚生的ベーシックニーズ(人間中心)とが、小泉の中に福田批判以前から意識されていたということである。
小泉の発言を引用しておく。
「Pigouの論ずるところよりも更に数歩進めて福祉経済学を大成しようとするものは貨幣と物との交換比率よりも更に一層普遍的な、人対自然の関係において常に成立する福祉の標準をまず求めなければならない」(小泉一九二三年)。
人対自然の問題のひとつの形態として、自然災害(関東大震災)に対する人間の在り方をどうとらえるのか。小泉は関東大震災を扱った「震災所見」ではそれほどこのテーマに触れてはいない。むしろそこでは厚生主義的な観点(≒市場的観点)からの評価―政府介入よりも市場の機能への信頼ーがやはり中心になり、そこでは依然として「貨幣と物との交換比率」を重視する姿勢どまりであったといえよう。そこに福田の批判と小泉の反省の応答があった理由となったにちがいない。
小泉が「貨幣と物との交換比率」(=厚生主義)ではなく、「人と自然」(=ベーシックニーズ)の問題にどのように取り組むかに、彼の示唆した未完のプロジェクト「災害経済学」があるのだろう。小泉は「災害経済学」を未完のままにしたが、同時に別な「人と自然」のかかわりを、経済学ではなく「経済学の外」(=スポーツ、レジャー自体の普及)で模索していったというのが、僕の部会報告での小泉解釈であった。それについてはメールマガジンαシノドスでも書いたのでご覧いただければ幸いである。
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