最新の経済学史ニュースが届いた。そろそろこれはネット配信だけにすべきではないかとも思う反面で、紙媒体はやはり独特の一覧性などに強みを持ち続けているので、それはそれで捨てがたい感情もちょびっとwある。
今回のニュース・レターでは、やはり会員の退会者数と新規入会者数が10倍ほど違うのが気になった。この参入退出スピードのままだと(そうはならないと思うがw)、10年後には学会としての機能の大半を失ってしまうだろう。
また追悼文では、山崎怜先生の追悼を柳沢哲哉先生が書かれていた。「山﨑怜」が正しいのだが、「﨑」が環境依存文字なのでここでは山「崎」と表記させていただくことをお断りしたい。
山崎先生の『アダム・スミス』などの著作を知ってはいたが、特に自分の研究領域の近さを感じたのは、藤原書店から出した『内田義彦の世界』に寄稿された「内田義彦の音楽」を読んだときである。山崎先生は「内田の学問とか思想を語るばあい、音楽を避けて通ることはできない。しかし、私は内田の音楽思想とか音楽観を正面から論じた文章を知らない」と書かれている。
だが偶然に同じ書物の中に、僕は「内田義彦の音楽論」という論説を寄稿していた。実は僕自身も内田の音楽論は他にないな、と思いながら寄稿したのである 笑。しかも面白いのは、山崎先生も僕もまったく内容が重なっていない。内田の音楽を題材にしながら、内田の音楽の関心範囲についてまったく異なる題材を対象にしていたのである。山崎先生の論説は、その意味でも極めて参考になった。
なお最近では、佐藤岳晶氏が内田義彦シンポジウムで、「音楽と内田義彦」を報告している。佐藤氏はあえて先行する研究(田中、山崎)を参照せずに報告したと語っていたが、同時にその内容はまたもや驚くべきことに、山崎、田中論説いずれとも内容というか、内田が関心をもった具体的な音楽の領域がかぶらないものだった。言いなおせば、それだけ内田義彦の音楽観が豊潤であり、経済学や社会との見方との関連を通してみれば、容易にその全貌がとらえきれないということかもしれない。
また柳沢先生が山崎先生の文学への注目にも言及されているのが目をひいた。『河上肇記念会会報』には、全四回(2016年5月~17年5月)にわたるインタビューが掲載されているが、そこでは山崎先生の文学、演劇などへの関心が豊かに語られている。村山籌子の史料発掘とその研究成果を背景にして、籌子の夫である村山知義の活動にも目配りされた非常に面白いインタビューだった。
経済学史学会、というか経済学史研究は、昨年の経済学史学会で小峯敦さんが「多面的知識を有する最後の人たち」(by H.Trautwein)という言葉を紹介していたが、山崎先生はまさにこの言葉を体現する研鑽を重ねられた方だと思う。そのことが先の「内田義彦の音楽」、村山籌子研究、もちろんアダム・スミス研究などから十分に、僕のような後学の者にも伝わっていくことだろう。