二百二十分の一ゲット:フレデリック・ワーサム『無垢への誘惑』(2004年リプリント版)


 高かった(1万5000円くらい)が決断して購入。2004年のリプリント版で限定220部のうちの一冊。ブログを見回すとこの版を購入した二百二十分の一のお仲間は、この方。James E.Reibmanの手になる解説が非常にいい。


 Roger Sabinらの伝統的ともいえる「コミック・コード:ワーサム主犯説」に異を唱えている。また最近のワーサム研究の流れであるが、実証的な見地から、ワーサムの業績評価が簡潔にまとめられてもいる。


 先のトンデモ本大賞の席上で、山本弘と学会会長は、概ね次のように言い放っていた。


 「(ワーサムが原因ではなく)コミックコードの導入を当時のコミック産業の人たちが行った、と(増田本は書いてるが)当時のコミック出版社の連中は胡散臭い(? ここの誹謗中傷系表現ど忘れ)やつらで、そんなことできるわけがない」。


 しかし山本氏の発言とは異なり、当時、ワーサムへの批判キャンペーン(結果的にワーサムがコミックコードの導入主犯になる直接の原因)は、そのときのコミック産業の代理人であった著名な経営学者のディビッド・フィンらの画策によるものだと、Reibmanは指摘している。フィン自身はこのキャンペーンを後に『企業家たち : オリガークの生態学』(サイマル出版、原著1969、翻訳1972)で書いているらしい(田中未見)。


 つまり山本氏らの見解とはまったく異なり、少なくとも当時のコミック産業の代理人は、ワーサム批判のキャンペーンを実施し、ワーサムの本来の意図からなる批判を回避しつつ、コミックコード導入の責任をワーサムに負わせるだけの能力があったことがわかる。つまりコミックコード導入自体は、ワーサムの本来の意図とは異なる理由(この理由のチェックは未解決)で、コミック産業が自主的に導入したということになる。


 フィンの本を至急読む予定。なおワーサムのこの本では参考文献が欠けているが、それは当時のコミック産業や流通業者の圧力で、ワーサムがどこの出版社の本を批判しているかをわからなくするために、版元が自主的に削除した、と解説には書かれている。


 なおこのエントリーを書いた淵源はここを参照。それと当ブログのカテゴリーのコミック、Comic Noseなども参照されたし。


 コミックコード問題や『無垢の誘惑』の一部分はboxmanさんところ参照。http://www4.atwiki.jp/longboxman/pages/6.html


*なお記憶するかぎり、いままでの一連のエントリー(ここ)で、トンデモ本大賞の席上(くわえて『と学会会報』上)での山本弘氏含めてのと学会幹部?連の増田本への批判(会報ではこれは事実上、田中、山形、稲葉各氏への批判と同義)はすべてこれで事実上リジェクトされたと思う。


 いいかえれば、ここで、山本氏が書いている「アメコミに関して信じられないほど無知なまま偏見に満ちたアメコミ論を展開」しているのは、まったく自分で調べもしていない当の山本氏である、と断言しておこう。


 なお誤解されても困るけれども、増田本を別に聖典視しているわけではなく、このブログのコミック、Comic Noseなどのエントリーをみれば、さまざまに突っ込みどころ、批判すべきところ、拡張すべきところを指摘している。トンデモ本やアメコミ論争での無根拠でトンダトンチキな誹謗に対して異を唱えているわけである。