最近、ネット界隈で話題になっている唐沢俊一『新UFO入門』事件。広義と学会関連とみなせば僕も他人事ではないのでここで備忘録。
ソース元
漫棚通信ブログhttp://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_604f.html
批評眼
「泥棒が被害者を「俺が盗んだことをバラしたら訴えるぞ」と脅す」
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20070728
周知徹底
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2007/07/post_c222.html
昔、書いたこのエントリーhttp://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20060818#p5に関連する話題がいまのネット界で流通してます。僕はこの唐沢本問題って、と学会の大会で壇上にいた人たちの振る舞いから感じたことを端的に表現しているように思えるんですよね。
簡単にいうと、需要が能力をかなり超えた状態になっているんじゃないかって。
ここでのアメコミ論戦で、数日前にboxmanさんがなんで山本氏らがboxmanさんの発言を無視しているのか、と核心にせまる問題を提起してました。
それはboxmanさんの発言を認めてしまうと、山本氏が増田本=トンデモ本と決め付けた理由が崩壊してしまうからです。山本氏の知人から構成される「アメコミマニア」たちによって、増田とその擁護者たちは「アメコミに無知」で「根本的に間違っている」とされてきましたが、(boxmanさんの発言を認めると)その前提が覆ってしまうからでしょう。その理由は上の昔のエントリーを読んでいただければわかるのでここでは省きますが。
つまり山本氏のアメコミ理解の能力(最初からすごく疑わしいけど)をすでにアメコミ論争とその延長戦は超えてるんじゃないのかなあ。能力が超えたところで、自分の主張がすべてひっくり返ると、人によっては*1黙殺・弾圧を選ぶからね*2。
その意味で唐沢氏の問題も同じ特徴をもっているのかもしれない。
なお、経済学の中でも歴史関係でもたまに盗用問題はあります。世間的に有名になった事例を僕はふたつぐらい記憶してますが、その事実上のペナルティは厳しかったと思います。
しかし、アメコミ研究とメディア研究の境目でオレ田中も何かかけないだろうか、と最近、思案中。このままと学会だけ見てるのも退屈だし、やはりアメコミ通じた比較文化理解って重要な問題だと思うから。出版社探さんと。