ロバート・フランク他『ウィナー・テイク・オール』の“ひとり勝ち”市場の分析


 「ひとり勝ち」社会を分析した古典ともいえる本。フランクはバーナンキとの共著の経済学教科書を書いてる人でもある。「ひとり勝ち」(ウィナー・テイク・オール)市場は本来はスポーツや芸能などごく一部の世界で、ごく少数のトップパフォーマーがその市場の生み出す価値の大半を得ている状況を指している。フランクらはこの「ひとり勝ち」市場がいまやアメリカ経済全体を覆っていると述べている。


 フランクらのこの本に関連するエントリーとしてはここを参照されたい。


 以下、僕の関心のあるところのみを書く。フランクらはこのようなひとり勝ち市場は、資源の浪費を生み出してしまうという。ごく少数の勝利者になると期待(これは自信過剰の状態である)して多くのものが競争することは人的資源の浪費である。これは効率の面から適切ではない。また公平の面からも「ひとり勝ち」市場の参加者への支払いの分布は努力と能力の分布よりも劇的に幅広い

 この意味から「ひとり勝ち」市場では公平と効率のトレードオフをそんなに意識しないでもすむ利益もある。なぜなら勝者の報酬をその他の市場参加者に再配分すれば経済成長を生み出すことが容易だからだ。


 「ひとり勝ち」市場の源泉は、供給サイドの要因(一流の芸術作品がきわめて低い限界費用でクローン生産可能、ブライアン・アーサー流のロック・インの可能性)、需要サイドの要因(ネットワークの外部性<お仲間効果など>の存在、習慣形成・後天的嗜好、地位財への好み、劣った財を購入することの後悔の回避、少数者への富の集中)などがある。


 「ひとり勝ち」市場の成長のメカニズムは、雇用面でみるとトップの人たちがその生産性に応じた報酬をうけれる独立契約的関係の流布(対して日本的な年功序列的な雇用の減少)が規制の緩和で実現しやすくなったことにある。そして独立的契約は能力のある人間への所得の増加をもたらし、それが需要の構造も変化(上記の需要面の諸源泉を想起)させ、地位財や高級な消費財・サービスへの需要が所得の増加率以上に増加する傾向を生んだ。特にフランクらは地位財の需要増加に注目している。この需要増加がフィードバック的に「ひとり勝ち」市場をさらに成長させていく。


 中流階級の没落はベトナム戦争以後拡大。77年から89年まで個人所得全体の伸び率の70%を上位1%の家計が奪っているというクルーグマンの試算の紹介。またフランクらが注目するのは同一組織内におけるホワイトカラーの所得格差の拡大である。先の地位財の適用であり、トップの役職はその地位ゆえに多額の報酬を正当化している、という説明をフランクらは行っている。この地位にたつものの決断は、膨大な市場価値を生み出すゆえにその報酬も正当化されることになる。


 ところでこの種の地位財的観点から労働の報酬をみるときには(日本でも高田保馬の勢力経済学を想起されたい)、上記したような資源の浪費・公平性の著しい毀損だけではなく、他方でより優れた人が市場に大きく貢献すれば大きなな社会的利益が得られる、という側面もある。フランクらは、「われわれが「ひとり勝ち」市場は市場のインセンティブのもとでは非効率になりがちであるというとき、市場の誘因は最も優れた人を識別する費用を最小にしない傾向があるという意味なのである」(邦訳158)と書いていることに繰り返し注意が必要である。


 ところで「ひとり勝ち」市場への対策は、累進的消費税(贅沢な消費にはよりそうでない場合よりもより高い税率)の採用をフランクたちは支持している。他にも制度的な政策をいくつも提案している(余暇政策や授業料への補助<奨学金、研究奨励金、低利の教育jローンなどの>増額など)。


ウィナー・テイク・オール―「ひとり勝ち」社会の到来

ウィナー・テイク・オール―「ひとり勝ち」社会の到来


ところでこのフランクたちの本を読んでいて(実は再読)アラン・ド ボトンの一連の著作を思い出した。彼もまた相対的な地位や消費のあり方が、他人との比較を通じてその人の生活を不幸にする可能性を書いていた。人と比べて自分が劣る意識に苛まれたとき、または他人よりも地位を勝ち得たいという欲望に過剰にとらわれたらどうするか?


 アラン・ド ボトンの答えは、人と人との比較ではなく、人とそれよりも大きいもの=自然との比較を行え、つまりは旅をして雄大な自然の中で自分の位置を知れ、というアドバイスを送っている。アラン・ド ボトンの著作『旅する哲学』『もうひとつの愛を哲学する』などはその意味で地位財に過剰にとらわれた人たちをめぐる面白い読書体験を与えてくれる。フローベルのエジプト紀行など実際に空間的にもひろがる旅と自然との相対的な位置取りだけではなく、実際には旅をせずに室内で旅を妄想することでフローベルと同じ旅を経験しえたユイスマンスなどの逸話などもでてくるのは面白い。単純にいうと人と人とのしがらみに疲れたら実際か空想かは問わず旅にでろ、ということなのだろう。


(補)長年積読だったR.メイソンの『顕示的消費の経済学』(翻訳は名古屋大学出版会)をいま読んでみたが、ここにもフランクらの地位財をめぐる記述があるが上に書いた以上のものはなかった。他の歴史的な論者の位置についての記述も凡庸なものであり正直落胆する出来であった。むしろ顕示的消費や地位財をめぐる理論的な分析は、フランクのエッセイを読んで気がついたのだが、ご健在がうれしいJ.S.デューゼンベリー氏の『所得・貯蓄・消費者行為の理論』を直接読んだほうが面白いかもしれない。