書評:安達誠司『円の足枷』

 先週、『エコノミスト』に掲載されたものの元原稿(実際に掲載されたものと少し違います。

 日本銀行が2月に金利引き上げを決定した直後に、上海株式市場の暴落に端を発する「世界同時株安」の衝撃が世界を襲った。日本銀行はいわゆる「円キャリートレード」(調達コストの低い円でリスク資産に投資する行動)を投機とみなし、この早期抑制を目指すことを利上げの理由のひとつとしてあげていた。今回の世界同時株安に、日本銀行の利上げがもたらした円キャリートレードの縮小が寄与しているという見方もあった。このような日本銀行の政策が与える効果が、日本一国だけではなくグローバルな現象の中でどのような意味をもつのかを首尾一貫した視点から明瞭にしたのが本書の貢献である。


 本書の題名にもなっている「円の足枷」とは著者の新しい造語である。円ドルレートの長期トレンドが購買力平価を上限にして、この10数年一貫して円高基調にあり、そのことが日本に長期停滞とデフレをもたらしている。この「円の足枷」は日本銀行の金融政策のスタンスによるものであり、金融政策のレジーム転換によって市場参加者の期待の変化が生じない限り、日本経済はこの「円の足枷」から脱出できない、と著者は説いている。日本経済は03年以降、回復途上にあるがいまだこの「円の足枷」から脱しておらず、そのことが日本経済の長期的な衰退を招くだろう、というのが本書の重要な警告である。


 さらに本書では、米国の膨大な経常収支赤字・財政赤字を世界各国がファイナンスしている現状を「新ブレトンウッズ体制」と名づけ、特に中国、日本、アメリカの三ヶ国が相互依存関係を深めていることを計量的に示している。たとえば中国の政策当局が内需拡大政策に本格的に舵をとり、元切上げに踏み切れば、そのことが中国の保有する米国債保有を不安定なものにし、アメリカ経済に深刻な影響を与えるだろう。そしてアメリカの経済状況に影響を受けやすい日本経済は深刻な不況に陥る、と本書は指摘している。この「新ブレトンウッズ体制」が今後持続可能であるかどうかは、中国経済の動向がキーとなる、という本書の示唆は重要であろう。さらにこの「新ブレトンウッズ体制」の中で、「円の足枷」から脱するレジーム転換を行うことが、政府と日本銀行の緊急の課題であり、その具体策として4%の名目成長率へのコミットを提示している。
 本書の1頁ごとに刻まれた優れた知見の数々は、著者が日本の最高のエコノミストのひとりであることを鮮烈に印象づけるであろう。